直弧文鏡; 奈良県新山 古墳出土

    「風神雷神」の図像を探していって、上記図像にであった。1963年発行の講談社 世界美術体系11巻に収められたこの図像をみて初めて心の底から日本人の祖先のすばらしさを実感した。
    火炎土器や女神に擬せられる土偶などは男性にとってはすばらしいかもしれないが、失われた自然性へのセンチメンタルな懐旧でしかないことが今はっきりと意識に上った。
   朝鮮半島から漢字の洪水が押し寄せる以前に、日本列島の住人は「シンプルなものほど強い」さらには「単位の繰り返しだけが実体」だということも知っていたわけである。そのことを象徴にまで造形し、そのことを共有する集団を形成していたのだ。宣長もそのことを確信していたからこそ『真暦考』の初文に「はじめ終わりのきははなけれど」と宣言しているのだ。
    さらに古代文化のもっとも中心的な象徴が「タラチネ」であることを熟知しているならば、この図像から二つのタラチネ、WとШとを導いて、ゲシュタルト心理学の象徴であるBoringの「老婆か若い女かの図」を転写した「老婆のタラチネか若い女のタラチネかの図」をも導くことができる。



直弧文鏡; 奈良県 新山古墳出土、 4世紀