風神雷神屏風図; 俵屋宗達

    wikipediaによれば「宗達の真筆であることは疑われていない。17世紀前半寛政期、宗達最晩年の作とする説が有力だが、法橋印が無いことや、おおらかな線質が養源院の杉戸絵と共通することから元和末期(1624年)頃の作とする説もある。現在では極めて有名な絵であるが、江戸時代にはあまり知られておらず、作品についての記録や、言及した文献は残されていない」とある。
   つまり、当時にあっては、「国家安康」事件を引き起こしてもおかしくないほど両義的な図像だったと考えることができる。1611年の後水尾天皇即位後でかつ、17世紀中葉以前に描かれたとされ、京都で書かれた、この図像に政治的両義性をもたらすとしたらどの部分であろうか。よく見ると「雷神」には「タラチネ」がつけられ、角は二本である。つまり「女般若」を連想させる。反対の角一本の風神にもかなり大き目の乳房がつけられているが、メタボの男性のものと十分に考えることができる大きさである。さらにいえば〈二本⇒日本〉と掛けることも可能である。


     脱線しておくと、この図が秘されたまま「風神雷神」の四字熟語だけを知らされていた民衆が、「菊と刀」の語順にいきり立つ心情をたぎらせたのも一理はあることにもなる。だが、それは「左右・みぎひだり」の逆語序対を知らなかったことも一つの要因であって、ルース・ベネディクトの無知の所以とばかりは言えないのである。
     このことはほぼ100年後に描かれた光林の「紅白梅図」と対照することで、より明確になる。こちらは、向かって左に白梅がおかれている。そして紅白は逆語序対をもたない。あるのは逆語序対〈黒白・しろくろ〉の方である。そして、記憶の中の雷神の肌が白っぽく、反対に風神の肌が青黒かったことが思い起こされる。


    とにもかくにも、1月に万葉集の「タラチネ」と、カルタゴの「イシス神」との両者は、カシオペア五星を介して通底している、という仮構を展開したのだが、これを補強する事実が一つ増えた。
  p17 ;http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/nanayou.pdf
なお、以下も参照してください
葛飾北斎の「虎と龍の図」 ;http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070512



逆語序
black-and-white;黒白の写真、白か黒かと割り切ること
テレビの中のセリフより;zebraはblack and white? or,white and black?


2012/01/30追記 酒井抱一の裏絵
https://twitter.com/#!/midoka1/status/163970615278182403