キャノンのやりすぎ・JRのやりすぎ

   前回,、広報と宣伝の微妙な問題について書いていて、思い出したのが福山雅治が出演したオーストラリアでの蟻塚観察のドキュメンタリ番組だ。
   福山は写真家でもないしアマチュアカメラマンとしての実績すら広くは知られているわけではない。それなのに何故か、たびたびカメラのファインダーを覗き込んで蟻塚を観察する様子が画面に出てきた。
   はっきり言って「うるさい」という頻度だったように記憶している。それは画像が露出する根拠がないからだ。つまり番組全体のなかでの脈絡がまったく感じられなかったからだ。
    東京駅にはときどき出かけるから、福山がキャノンの広告に出演している以上に長期契約のイメージ・キャラクタであることは知っていた。とすればカメラ露出の回数をめぐって福山自身が主張を明確にしたのか、それともキャノンの宣伝部がそれなりの画策をしたのかどちらかであろう。

しかし、長い目で見れば逆効果だ。

   私が、なぜ民放を見ないかというと、広告主の方ばかり向いて、視聴者の尊厳が皆目、省みられていないからだ。番組のハイライトで何本ものコマーシャルを入れたり、5分刻みに感じられる頻度でコマーシャルを入れられたら、まともな大人なんら腹が立つはずだ。そういうことにまったく思い至らない人たちが寄り集まって、安易に金を儲けて、社員と出演者団体とが高給を食んでいるのが民間放送ならば、社会的価値はゼロだ。
    そして、そういう脈絡のない番組に腹を立てられないような若い人たちを育てて、国家と国民が独立してやっていけると考えているなら、そういう人は、考えが足りないのではないか。
   NHKも最近、NHK自身の番組宣伝に相当の時間をかけているが、未だ番組の途中でいきなり他の番組の広報ならぬ宣伝を入れているわけではないから、いろいろ不満はあっても我慢している。

だが、量の変換は容易に質の転換に転化するから気をつけた方がいい。

   以前にも書いたが、かつて国有鉄道と言われていた路線を日々利用しているが、ただでも人が多くて不愉快な駅空間に広告と売店が所狭しと並んでいる現状はおかしい。それだけの量の出展ニーズがあるならば、出展単価をあげて、総面積を減らす工夫をするべきだ。今の状態は社内官僚が駅空間を私物化して安易な日常業務が行われて、結果、駅利用者の快適さや尊厳がほとんど省みられていないと考えるべきだ。
    もちろん、私だって、運良く、社内官僚になれたら、単価も上げて、出展量も増やして、年度の経常利益を上げました、といって出世の階段を上っていくことになんの疑いも持たないだろう。
    だが、いつまでもこういうやり方を続けるべきではない。
    公共空間については私有財産であっても、今こそ、総量規制をはっきり打ち出すべきときだ。