天災と人災

    19日では、すくなくとも、日経新聞朝日新聞とは、警察庁の発表数字「死者6500人超」を根拠に、「戦後最悪」と見出しをつけた。これでは、人災である原発事故の反省も総括もできない。
    死者の数は中立である。
    だから見出しは「戦後最多」でなければならない。
    その客観的記述に対して、それを「悪かった」と考えるか、それとも「仕方がなかった」と考えるのかーーーそれは読み手の専権事項であって、新聞社が先回りして断ずることではないだろう。
    第一、津波による死者数を悪かったと反省してしまっては、その先にある「原発事故」も同じように「悪かった」と捉えることになり、それはそのまま津波による死者は「仕方がなかった」と考えた途端、原発事故も「仕方がなかった」で終わっていくことになる。


   さらに問題なのは「死=悪」という直接的で、唯一の結びつきが、いつから国是になってしまったのか、ということだ。今でも有害物質に汚染されることを恐れずに福島で事故処理にあたっている人々が、仮に死に至ったとして、それは「単純悪」なのだろうか。そのような死者の数は、「悪」ではなく、その数の何倍もの人々の生を支える「崇高」な死足りえるのではないか。
   もちろん、故意あるいは未必あるいは業務上の傷殺死は「法律上の犯罪」として、処理しなければならない。だが、その前提には、犯罪は悪にのみに還元できないという実体法なり、常識なりが機能していなければならない。
  大事なことは、大事なのは、「数」そのものではないということだ。その背後にある量と質。その表裏の一体性を第一に、物事を捉えていくように今からでも〈語文・思考〉の訓練を始めたい。


【二字熟語対】
語義・文意
思考・考察
観念・観察
思念・念頭
念願・願望

【四字熟語】
観天望気