二度あることが三度あるわけではない

   今週の週刊朝日の広告はいう。「日本は戦後の焼け野原から国を復興させた。原動力になったのは野人のような野心だった。最悪の事態での中でも情熱さえあれば、不可能が可能になる。」
  そして、赤字国債を垂れ流し続けている政権から、放漫経営でゆきづまった日本航空公的資金を注入させることに成功した京セラ会長稲盛氏の顔写真がのっている。
    だが稲盛氏の成功は、アメリカの進駐軍が、少なくとも公職追放と農地解放とをおこなった、後の出来事にすぎない。
    もう一つ例を挙げると、少し前にテレビに登場した老人も老人、かなりの老いぼれ老人にしか見えない経団連会長は「政府は被災者のために迅速な救済をすべきだ」と説教をたれた。だが、会員企業である東京電力の不始末にかんして自身はどのように反省するのだろうか。
     原発を推進してきた人すべてとは言わない。言ったら必要な人も居なくなってしまうからだ。だが、65歳以上の経済団体と上場企業の役員経験者、あるいは死後内閣より従四位以上を賜るべき栄達をすでに実現した人たちはすべてと言おう。これらは全員、自発的に公職を退くべきだ。
     与謝野大臣も例外ではない。税と社会保障の一体化改革のために同志を置き去りにして政権入りしたのかもしれないが、とてもそんな状況ではないだろう。

国難とは神の怒りなのだから、人身御供なしには対処できない。絶世の美女をという時代でないとすれば、現状についての、【故意あるいは未必あるいは業務上の】責任者が引き受けるべきであろう。


    とこう書いてくれば、どうしても小泉元首相と河野洋平の両氏が思い起こされる。【第一線に立つべきは若人である】という一点において両氏はまちがいなく見識を持っている。