20ミリシーベルト;日経もやるじゃん

   5月2日の日本経済新聞の夕刊に米民間組織「核戦争防止国際医師の会」の声明として日本政府の措置について、「遺憾であること」が掲載されていた。ところが小さな記事だが、最後まで読むとトンデモないことが書いてある。声明の根拠として「放射線に安全なレベルはない」と。
   これで思い出したのが、40年前の入社早々に化粧品原料の色素スクリーニングをやっていた時のことだ。これはアメリカがベトナム戦争後の景気づけに「癌との戦い」を宣戦布告して関連業界に莫大な予算をつけたことから始まった。結局私のいた会社としては「安全だけでなく安心も」と云うことで、「タール系色素から天然色素へ」という方針を打ち出した。業界もそういう方向で足並みをそろえた。
     純技術的な成果としては、癌の発症よりも、当時化粧品のヘビーユーザーでおきる特有の症状があったのだが、色素中に含まれる発がん物質を精製除去することで改善が見られたことだ。だが、天然色素の方がタール系色素よりも発がん性に関して、有意に安全だという結果は得られなかった。扱ったサンプルの精製度や生物検定にもちいる動物種や実験方法の確立といった要素が多すぎた。
     今思えば、「癌との戦い宣言」には「核の平和利用促進」の裏政策というよりは反対勢力との一種の妥協ないし融和策だったのではないだろうか。
     もちろん、この40年に目に見えて、進んだことは原子力発電拡大と禁煙運動の全面勝利だったわけであるが、そしてアメリカの民間組織のオセッカイとしか思えない今回の声明も、それだけを取り出せば、奇妙であるが、ともにアメリカがよって立つ「二つの原理主義」だと見れば納得がいく。だとすれば国際基準だといわれている20ミリシーベルトも二つの原理主義の妥協の産物なのだ。
     そうであれば、日本人が両原理主義者の間に入ってウロウロ、オロオロしたり、「恥ずかしい」などとと頭を垂れる必要はない。今ここにある発がん物質と居(ママ)り合いをつけていくしかないのだ。ただちに黒潮にのっけて水に流すことも、福島県全域を立ち入り禁止にすることも共に国益ではない。
     だが、強力な発がん物質を、二度とまき散らすことはしないとかたく決心はすべきだ。