音幻〈ず・づ〉〈 じ・ぢ 〉

  引き続き藤村由香氏の『記紀万葉の謎』。方法論的にはいきなり万葉集古事記ということなので異論はあるが、個々の事例は参考になるものが多い。P28から引用しておく。

「高知生まれの友人の話を聞いて驚いた。彼女は「じ」と「ぢ」を特別意識もせずに区別して発音しているという。「”おじいちゃん”はやっぱり、”おぢいちゃん”でなければダメなのよ」というのである。ひょっとして昔の人には「じ」と「ぢ」は明らかに違う音だったのかもしれないと思ってるのである」

だが、その次に「関係」も「くわんけい」と発声するようにと、子や孫に規範としての教育が行われていたという記述が出てきて、表題の「旧かなの音が聞こえる」という一般論の中に埋没してしまっていたのは残念。
   この問題について家人からはっきり聞いたのは知り合って40年以上たってのことだった。そういうことが話題にならなかったし、生粋の土佐っ子は自認していても両親とも高学歴だったから「関係」は「かんけい」で落着した家庭だったのであろう。だが、「じ・づ」は旧かなでも学校できびしく発声法を規範として習っていなければ判別できない。家人は在地の子供と遊んでいて、そういう世界があることを体験していたらしい。が東京で生活していると、そういうことは脳裏によみがえらない。
    これが話題になったのは朝【夷】奈街道近くを散策しているときに、「逗子」という文字が土地案内に出てきたときだ。これは本当は「づし」だよ、と家人はつぶやいたのである。
    一応、大学教育を受けてきているから自分の身体経験を客観化して技法なり方法として記述することができるのである。ここが informant とは違うし、それ故に大学研究者からは informant としての資格を疑われるだろう。が、書き下ろしておくと。

〈づ→有気音〉〈ず→吸気音〉

当然以下も。

〈ぢ→有気音〉〈じ→吸気音〉

だが、こういわれても関東育ちとしては〈じ→吸気音〉のイメージがつかめなかった。それで実はほおっておいたのだが、今回改めて考えてみると、
〈じゅ→吸気音〉が本来だったのではないかとの仮構が浮かんできた。
    これならば、早い話が、江戸落語の教条「江戸っ子は蕎麦をじゅるじゅると大きな音を食べ無くてはならない」とか、イギリスのお嬢様は決してスープを飲むときに「じゅるじゅる」と音を立てたりしない、というこれまたそれぞれの社会を構成している強固な階級社会を隠蔽したお国自慢や自虐的日本文化論が思い浮かぶ。
  そうすると上の二式は「濁音記号」「促音記号」「撥音記号」「長音記号;小字のア行」を獲得した日本語書記体系では以下のように書き直してみることができる

〈づッ→有気音〉〈ずゥ→吸気音〉
〈ぢィ→有気音〉〈じュ→吸気音〉

こうしてみると語頭の「地面」や語末の「鼻血」などは書記法の問題に還元でき、以下のような古来からある熟語については正書法上の混乱はあっても「耳できく」混乱にはなかったと仮構することができる。ここでは例数が少ないがメモしておこう。

現代表記   正書カナ   漢字   漢字   正書カナ   現代表記
ズッシ   ヅシ   逗子   呪師   ズシ   ジュシ
ジッケン   ヂケン   実権   授権   ジケン   ジュケン


なお、宣長の『古事記総論』の最後近くから興味深い記述を引用しておく。

奈良朝頃までは、すべてこの借字で書いたのは普通のことで、結局は仮名と同じ用法であるのに、後世になってからはただ文字にばかり注意するので、
これを不審がるらしいが、上古は言葉を主として、文字にはあまり拘泥しなかったので、なんとでも文字を借用して書いたのである

『古典日本文学全集34;筑摩書房