蛮夷・東夷

   少し前のNHKで「魏志倭人伝」についてのトーク番組があって、いろいろ発言がある割には「魏志倭人伝・命」みたいな1時間だったので、もう少し客観的に考えたいと思っていたら1985年に上梓された中国の正史を九つ並べてかの国が日本についてどういう記述をしているかを見せてくれる書が『倭国伝;藤堂明保ほか』である。
   これによると九のうち八までが日本を「東夷」とくくっているのに対し南宋の『宋書』では「夷蛮」というくくりの中に倭国がある。
   そして次の『隋書』では確かに「東夷」に出てくるのだが、朝鮮半島の高麗、百済新羅、マッカツの四国をあげて、さらに建安から東へ水行五日にある流求国を挙げ、その最後に倭国がでてくる。
    その次が『旧唐書』である。
   以前、に聖徳太子の「日出ずる国の天子」というのは、必ずしも「日没する」と直接対比するものではなく、南蛮の位置づけから朝鮮半島の東の「東夷」へと位置づけを替えることを望んだのではないかと考えたが、こうしてみるとあながち荒唐無稽ではないことになる。
     倭国の基底が中国の長江文明なのか黄河文明なのかというのはかの国にとっても関心事であろう。もちろん日本にとっても、九州の宮崎のハヤト、紀伊半島の熊野のウカシ、陸奥の国のエミシまでの列島南岸と対馬から出雲、秋田までの列島北岸という二項対立の歴史上の位置づけに大きく関わってくる関心事である。

2012.9.11追記
天皇と日本の起源;遠山美都男』のp203には『宋書』では日本(5世紀、雄略)は、朝鮮のことを「海北」と呼んでいたのに八世紀に成立した「古事記」の仲哀の所では「西方」と変わっている、と。



参考情報;
1)メルまが;国際派日本人養成講座
  「No.759 歴史教科書読み比べ(4):邪馬台国の戦略外交 」http://blog.jog-net.jp/201207/article_7.html

2)呉から始まる中国史による南方交易話 http://togetter.com/li/346020







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