ニライ神カナシ

  7月22日のNHK柳田国男特集で『海南小記』の紹介があり、そこでは「ニライ神加奈志」という言葉が使われていた。
   これで、ようやく有名な「ニライカナイ」の語根がイメージできるようになった。なぜ前者の方が焚書坑儒されて「ニライカナイ」だけが流通しているのか不思議だが、現在googleでは前者は第一頁にはでてこない。だが、注意してみると鹿児島県龍郷町にあるカフェの名前として「仁来神愛」が出てくる。そしてわざわざ「にらいかない」とフリカナがついている。だが、この漢字ならば「にらいかみかなし」と読むことができる。

    さて、いよいよ語根分析にはいろう。これは以下のように full sentence 変換することができる。
・ニライ神加奈志

・ニライなる神之なし

↓  参照論考「音韻イメージ 〈なゐ・地震〉」;http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/nawi.pdf
・ニライなる神の池(なし)
↓  山をイメージする地域では 
・ニライなる神の地(なち)
↓   遙か遠くの外地をイメージする地域では
・ニライなる神の他(ない)




【ニライの語根解析】
 では「ニライ」は何をイメージするのだろうか。「ニ」からは、本土の人間ならばまず「虹」を想起する。だがこれは種子島までで、以南では「ぬじ」「のーじ」となるらしい。だが古事記によれば「大物主」は「蛇の姿」になってさる姫のところに通ったということだから「ながーい弧」というイメージを抽出することができる。
   それらが繰り返されれば「なみ波」となる。あるいは「二上山」までが候補としてあがってくる
   ここまで考えて昼寝をしたら、もっと単純に「二」は「丹・日」、つまり「真っ赤」でいいのではないかと思えるようになった。そうであれば徐福伝説の「東の果て」であり、宣長のいう「朝日の匂う山さくら花」とつなががる。
    事実「江戸上がり」と称された「琉球使節」は1634年から1850年まで18回行われたということだから、当時の知識人にとっても、その来世観はおろそかにはできない知識だったはずだ。そして琉球言語の重要な文献は1531年から1632年にかけて編纂された「おもろさうし」で、その解読には柳田らの日本民俗学が深く関わってきたことも無視すべきでない歴史的事実だ。

    つぎに「ライ」について考察しておこう。辞書で逆引きして、主なものを書き出すと・・・。
1、形容詞語末;あらい・えらい・からい・きらい・くらい・つらい
2,動名詞語末;あしらい・さらい・ならい・ねらい・もらい・はらい・わらい・
3,名詞語末;あらい・いらい・けらい・こらい・たらい・とらい・ひらい・みらい・むらい・やらい・ゆらい・わたらい

    大なたを振るえば、一番近いのは「未来」となる。そうであれば、「日来」というのが順当な解釈。そうすると沖縄に於ける非公式な仏教の伝来というものが次に気になってくる。



【沖縄の方位名ニシ】
    さて、一晩寝たらとんでもないことを思い出してしまった。沖縄では「西東はイリ・アガリ」で「北南はニシ・ペー」なのだった。【東アガリ】の方は日本の古い呼び名「アズマ」を連想させる。そして、「ペイ」は以前考察したとおり「平ら・崖」の両義。
「音幻;日の出」 ;http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070103
   まず大和言葉から処理すると
【あずま・さつま】は基底に【あがり・さがり】があって【あかる・さる】から【ひかり・いにし】を経て【西にし】がでてきたと考えられる。これは以前考察しておいたが、【神在月・神無月】というのは大和にとっては「神が出雲にいにし」という義があるのである。
「七曜 十二ケ月の成り立ち」  http://midoka.life.coocan.jp/papers/nanayou.pdf
   もちろん、これには大和言葉内では、音喩「西⇒丹⇒真っ赤な沈む太陽」と完全に整合している。


【南ペー】はとりあえず大和言葉でも沖縄語でも「ピカ・ペー」のように「明るい」を原義にもつと考えて差し支えないであろう。では【北ニシ】にはどのようなイメージが横たわっているのだろうか。
  まず、以前抽出した以下の連語を眺めてみよう

[東] [西] [南] [北]
[鹿島神宮] [宇佐神宮] [午] [子]

   ここで、大和言葉を想起するならば「に・ね⇒塊・長い物」の対義を取り出すことができる。そうすると最初に戻って「ニシ⇒虹⇒長い物」を抽出する事になる。それが妥当かどうかは今回だけでは結論できない。


【NONE SINE SOLE IRIS】
  テレビでエリザベス一世肖像画の解説をやっていて、上記の縫い取りの話がでてきたのだけど意味は「太陽なしに虹は耀かない」ということらしい。もちろん「地球はGLOVEだ」というフレーズが流行していた社会の話ではあるけど、ギリシャ時代にはidomになっていたとしてもおかしくはない。とすれば6弁花のアヤメや百合がユーラシア全域で、六色の虹や、長い物のメタファであった可能性が出てくる。



鹿島神宮
今回気がついたのだけど、これは【しかしま神宮】と読むことも可能である。とすればここから「しかし→ひがし」を導くことは順当である。





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