「ならば」と反実仮想

   探し物をしていて 『肉中の哲学;哲学書房 2004』を繰っていたら,p330におかしな日本語文の紹介が載っていた。
例文1:僕が君だったら、僕は僕がいやになる。
    これの語釈として、以下があった。
例文1の語釈;あなたの主体が私の自己をにくむ

    だが、これはラッセルの確定記述形式を援用して「ならば」を挿入すべき文型で、典型的な「反実仮想+強調反語」


文型変換;僕が君だったらナラバ、僕は僕がいやになる。
変換文型の語釈;この破廉恥漢め!君は決して自身を恥じることはないハズだ。

   

     残りの例文は会話体文型ではなくて、陳述文文型であり、漢語・西欧語の悪しき漢心のまじった純正日本語とはことなる翻訳文型にすぎない。

純正文型;私ならば行かないわ
      =馬鹿なあなたは行くに違いない。でも、私としては止して欲しいのよ。



  この例文の informant は「木をみる東洋人・森をみる西洋人」などのような初見一瞥を絶対化する相対主義者。でも留学した日本人が、かの国で学位をとって、それなりの将来の保障を得たいと思えば、彼の地の学会のボスの望む情報を提供せざるを得ない。わかりますよ。もちろん、この項の分析と文責は採用したボスにあるのです。




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