『太陽は東から出る;中谷宇吉郎』

    近所の図書館では利用者から提供される不要本のリサイクルをやっている。今回はとくに興味深かったので引用しておく。1961年発刊。


p220
  換言すれば、原子力発電を水力および火力の代用品として考えるだけでよいかという点が、大きい問題である。商業ベースうんぬんがすぐ問題とされるのは、水力および火力の代用品として考えているからである。
    原子力発電がなぜ、必要か。どういうところで使うのが一番有効か、こういう根本的な点についての考察が、いつの間にか抜けてしまったような気がする。原子力時代などと、ジャーナリズムにあおられると、すぐ乗ってしまうのは、純真といえば、たしかに純真であるが、少し心もとないような気もする。
    火力や水力ではたりないから原子力発電というのは、一番素朴な考え方であるが、これは間違っている。水力発電は、洪水防御および水の総合利用の副産物として考うべきである。発電だけで考えるから、コストが高くつく。水の総合利用の立場からあれば「経済的に」成り立つ未開発水力は十分に残されている。火力のほうも熱効率を高めれば、同じ石炭量で、電力量はまだまだ増やせる。世界で一番安く石油を使える日本で重油発電を抑制しながら、電力が足りないというのも、おかしな話である。電力がたりないのならば、原子力発電の前に、電力増強の道はいくらでもある。
   火力や水力の代用よりも重視すべきは離島または山奥での小型原子炉であろう。
    以下省略





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