技術飛躍と技術公開とのバランス;アンティキティラ島の機械

    昨晩のNHKで流していた「古代ギリシャ 驚異の天文コンピューター」はすごかった。アンティキテラで沈没船の積み荷から見つかった古代ギリシャの青銅製の最大で18cmの歯車をいくつも組み合わせた装置とその解析経過報告。積み荷のコインから紀元前7−8世紀のペルガモン(トルコ)の都市の船と推察されたのだ、そこからキケロの記述を経由して発明者をアルキメデスと特定していた。
    ただし、番組の主張は天文学の歴史が書き換えられるとなっていたが、正確さをかく。アンデス文明でも正確な天文観察は可能だったのだから青銅製の歯車は計算速度を増大はさせたかもしれないが、アルキメデスの実現したのは公開方法の革新であったとすべきだ。そしてここにデモクラシ−の技術的基盤を見つめておくことも大事だ。
   現在の日本のように膨大な技術者軍団を抱えていてもそれを簡潔明瞭に公開する技術が未熟であれば、それは技術ではなく秘術にすぎない。いくら膨大な出版物が上梓されていても学派の外できちんと利活用されていないならば、門外不出の秘伝でしかない。そんな文化程度で原子力を使いこなすというのは2000年早いのだ。
      詳細な内容は番組にゆずるとして、長い尺をもった人物のイラストがおもしろかった。これはかるた遊びの「葦(よし)の髄から天井をのぞく 」についての新しい解釈をみちびく。なぜならば、そこにレンズが埋め込まれていなかったとしても外光を遮ることによって狙いを定めた星、例えば金星やスバルなどの形状をより明確に捉える事ができるからだ。これは辞書にある「細い葦の茎の管を通して天井を見て、それで天井の全体を見たと思い込むこと。自分の狭い見識に基づいて、かってに判断することのたとえ」とは真逆の認識法を提示する。本質を見抜きたいらならば世間の雑音雑事から自分を切り離して、思念を集中しなければならないということを含意する。
     そして、このように伝統的な言葉遊びは、支配者の衆愚化の装置でもあったことをかなり意識した教育的配慮の必要を導く。それは「古事記」「源氏物語」「小倉百人一首」などの古典教育全般の見直しを要請する。
    ついでに自慢しておくと、以下で展開したようにガリレオは金星の満ち欠けの発見者ではなく、古代には葦の髄から覗けば、案外誰でもそれを観察できたことを示唆する。つまり国語教育だけでなく理科教育の革新も待ったなしである。制度いじりで済むような問題ではない。
論考「ある実務者の論理  p16」
  http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/russell.pdf


キーワード
最大で18cmの歯車;これは中に十字のはすかいがあるデザインだから島津家丸に十字」紋とそっくりだ。
235ケ月を周期とする暦;メトン暦
127あるいは254;?
223ケ月;サモス周期(日食月食の予測に重要)
赤い月;月食(テレビではそういっていたが、湿度が高い時は満月の出始めは赤く見える)
黒い月(テレビでは日食と関連付けていたが、通常は朔月を含意するはず)
スポーツ大会;夏至のあとの満月の夜
日月以外の天体は恒星は?;真恒星(星座/辰)・惑星・彗星・ながれ星・それ以外
碇形文字;
近藤二郎
内山弘(長岡歯車製作所)





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