『史記の「正統」』

   12月2日に流されたNHKの「中国文明の謎」は謎をよびおこした。工藤元男、鶴間和幸、平セ隆郎の三氏の著書をとりあえず図書館からかりだしてみた。中の『史記の「正統」』は2000年に上梓されている。テレビで放映された始皇帝の咸陽・閣道・極廟については今後の展開があるものとおもわれる。ここでは『説文解字』についての解説をみてみたい。
   p165から
  p167;秦が定めた八大書体は字種ではなく、用途や書き付ける素材による違いを整理したもの。中の「蟲書」などは後世おかしな字種を生んでいくが、根拠はない。
    ここで、『うつぼ物語ー国譲り上』に出てくる「葦手」のことを思い出した。具体的なイメージについて専門家の間で意見が分かれているらしいが、世間の常識ではなく「理」でイメージすれば案外簡単にわかることなのではないだろうか。これについては『古典再入門;小松英雄』とあわせて次の機会に本格的に考えてみたい。


【正体・俗体】【祭祀・実用】
   むしろ、ここでは【正体・俗体】に関する説明が漢字読解に関して貴重な教訓をみちびく
   これは【祭祀・実用】と大きく重なっているという。つまり現在白川静に加上して福井県教育委員会が日本中の子供たちに押してつけている「甲骨文字と漢字の一貫性」というのは「祭祀」の一貫性にのみ支えられている仮説だということである。
     つまり実務者の間に伝わってきた漢字内部の一貫性はまた別に考える必要があることを導く。



  
【虚実】【正負】
    さらにもう一つ、貴重な教訓をえることができた。 『史記』の正統観にかかわるのだが、「前漢」の司馬遷が著作した「史記」を、「光武帝後漢」から記述していくときに修辞論の問題としてどのような普遍的ない取り扱い法を前提としなければならないかということである。
      ここで正統というものが虚実あるいは正負の重層性を担っていることがはっきりと指摘されている。だが、2000年に上梓されて2007年には講談社学術文庫にはいっている本書の「常識」がいっこうに常識になってこない現代日本の知的にぶさが改めて身に迫ってくる。
     これが常識になれば古今集仮名序の六歌仙の記述における背反性が素直に理解できるようになる。そうなれば修辞論の本格的な国語教育への導入が促進されるだろう。


渭水淮河
   テレビの方で出てきた「咸陽・閣堂・極廟(阿房宮)」が天の川に並ぶ「ペルセウスカシオペア」と「北極星」を模したものという内容は非常に有益だった。
   ペルセウスは「やがて祖父をころす」という予言のために母ダナエーとともに筥(はこ)に入れられて川に流された。長じて宝石のように耀く目をもち見るものを石に変えてしまうというメドゥーサの首をとり、カシオペアの娘アンドロメダを助けて出して妻とし、祖国にもどり、はずみで実は祖父だった老人を殺してしまい予言は成就する。
   今は修復が成っているはずの日光東照宮の入り口にかかっている神橋が堂橋である理由がずっとわからなかったが、閣道という漢字がそのヒントを与えてくれた。同じような建造物は高知の梼原ちかくでも見かけた。
    古代史を眺めていると、「女男⇒男女」つまり「母子⇒妹背」の転換が最大の事件であることは間違いないのだけど、それに伴う象徴記号の変換が見えにくいのは、勃興した地域ごとの重要象徴が異なっているからだろうとまでは容易に推察ができる。その要素の一つが方位であることもまた異論は出ないだろう。だが、その先が見えなかった。
     ナイル河は南から北にながれる。ガンジス川も長江も西から東にながれる。そして、ギリシャ・ローマでは地中海が中心にくる。つまり「南北⇔東西」が時間的に、一方へではなく繰り返されている。これの処理の過程が今一イメージ出来なかった。それとエジプトではシリウスが一番身近だったはずだ。これは間違いなく「the one」。だが、テレビでも学校歴史でも取り上げられる「北極星」は見えにくいし、たぶんカシオペア座も「W形」は高い所に登らなければ見えにくい。
    だが、北方を馬で駆け巡っていた人たちにとってはカシオペア座は必ず見えている星座となる。シリウスこそ、めったに見かけない星だ。
    改めて小学生用の星座表をみてみるとシリウスを含む「大犬座」は天の川をはさんで「小犬座」と対峙している。一方「北斗七星=大熊座」はみえにくい「北極星をふくむ小熊座」と並んで「小犬座」と同じ川岸にいる。
   そして黄河の上流と下流のベクトルをたすと乾(北西)が高いという中華の根本義が見えてくる。それは空海作と言われる日本列島を囲む龍の図もまた、このような処理と整合する。
    最後に、話はとぶが、もともとは現在の渭水黄河下流が天の川や長江を転写したシンボルだったのを秦漢で北からの黄河上流をつないで、北から落ちてくる落ち水伝説を正統神話に作り上げたと仮構することも可能になってくる。それは北京や平安京になって、都の北に山を作りそこは逆語序「滝たき・きた北」であるという風水観になったのだと仮構することも十分に合理的である。
    もちろん、北極という概念や細かい星座の話は後世になって天体観測と暦学が盛んになってからの話で、そのもっと前には夜空の中心には天の川、つまり milky way があって、それがどっちから流れてくるのかに多くの関心が集中していたはずだ。そして現在広く知られているのは二系統あって、一つは海の底にある壷から出てくる塩の粉ないし、雰であり、他方は今は亡き老母のタラチネ(W)ではなく、パンパンに張りきった宗像(M)から流れ出てくる母乳である。
   そして(M)が天高く耀くとき天の川は東から西へと亘り、その上に恒星の列を見ることが出来る。もちろんこれも後世の当てはめではあろうが。

                  10
おおいぬ   ふたご   オリオン   筥星・御者   カシオペア     大熊     白鳥座  
シリウス   双星   三ツ星   カペラ   五ツ星         デネフ   ペガ

   まだまだいろいろと整理すべき点がでてくるが、とりあえず、ここで一旦しめる。