嵐山・小倉山

    図書館で『新潮古典文学アルバム4;古今和歌集;1991』を借り出してきたら、ドンぴしゃりの歌(秋下・312)が出ていた。
九月の晦日の日 大堰にて詠める
   夕月夜 小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや秋は暮るらむ  紀貫之



   説明に「夕月夜」は「ほの暗い」の枕詞で、ここから「小倉山」が導かれる。さらに鹿は小倉山の景物であり、悲痛な鹿の声によって、秋は終わりを告げるとある。
     斉藤茂吉の文章を知らなければ、雄略天皇の歌も知らずに、何の疑問もなく読みすごし、やっぱり修学旅行では嵐山にたちよって「おぐら春秋六菓撰」をみやげに買ってくるべきだとなってしまう。だが、それでは万葉集の冒頭の歌と比肩されるべき「小椋山」のことがわからなくなってしまう。本当の王政復古を成し遂げるべきだと考えていた明治の知識人が古今集をきらったのもそれなりの理由があったわけである。
   だが「歌よみに与ふる書 http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/2533_16281.html」で子規が問題にしているのは、もっぱら一つ一つの「歌」であって、「古今集」が「古事記万葉集」の「訓詁研究書」としての性格を持っていたことが視野から欠落しているように思える。そして「新古今和歌集」もじつは「万葉集古今集」の「訓詁注釈書」としての性格を持っていることも今は忘れられている。
   『宗祇抄』もそのような書物として読むとするべき時期にきているのだと思う。


参考書;
『影印本 百人一首抄〈宗祇抄〉』 編者吉田幸一 笠間書院 1969
『絢爛たる暗号ー百人一首の謎をとく』 織田正吉;1977
百人一首の秘密』  林道直;1981 青木書店
小倉百人一首田辺聖子』 あとがき1986年 角川文庫
なお、
『私の百人一首白洲正子』 あとがき1976年 新潮文庫も。


補足;【堰】
藤堂明保の『漢字源』ではつくりを【晏;日がおちて暗くなる】と説明するが、電子辞書では売れっ子の『新漢語林』にはそのような説明はない。



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