『古代へのいざないープリウスの博物誌;雄山閣』

   前項のなかで参考文献として挙がっていたもので、プリウスというのは大プリウス(AD23〜AD79)。軍人として立身した後にネロの治世には文筆に従事して百科全書『博物誌37巻』を書いた。ベスビオスの噴火で死亡。
   興味深かったのは巻末にのっていた中世のラブレーや近世のシェークスピアへの影響の考察で、ここを読むと比喩、直比喩と引用比喩についての私も含む大方の日本人の認識に大きな欠落があったのではないかと反省させられる。
    たとえば次の引喩「虫はどんな木にもいるが、シーダーの木にだけはいない」を見ると、もしこの引喩になじんでいたら古今集の仮名序にでてくる「身にいたづきのいるのも知らず」というのが当時一般的な警句として流通していた可能性を検討することができたのに、と思った次第。
  なによりもこういう警句は歌学には無縁でも庶民の生きる知恵には必須だったはずなのである。「歌の父」と言われる「難波津の歌」が花の見事さを支えとするのならば、それはむしろ古木を連想させ、それはすなわち材木としては注意しなければならないことを含意する。
   さらに、ここでの豊富という以上に、圧倒される乱雑膨大な警句の物量により、一般社会にある種の「辟易感」を醸成していったことも、ごく自然に理解できてくる。それを著者は「正確な対照法と完全な様式に対する人々の好みは薄れてしまう.p269」と表現している。

   それが子規などの明治の歌人の「万葉集」礼讃と古今集軽視をもたらしたこともごく自然に共感できてくる。しかし現在の我々は、古今集の凝り性というのを一とおりはたどってみる必要がありそうであると感じている。そのほうが『万葉集』を漢文として朝鮮語によって読み下すよりもずっと祖先の歴史に迫れるのではないだろうか。その場合にも必要なのは人間の身体と人々の生活や人間関係の普遍的なありようを生き生きと復元していく努力だろう。





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