和語対【ならぬはならぬ・なるようにしかならぬ】

    慣用句というのは対義をともなってはじめて有用になるということはとても大切な修辞理論だとおおもう。それで前回にひきつづいて今度は和語の例を考えてみる。NHK大河ドラマになったので再び喧伝されるようになった上記の慣用句の対義を仮構すると、上記の例しか思い浮かばない。だが、これでは軍国主義はとてもとても無理である。
    もともとの会津の「什」をしらべると以下のがひっかっかてきた。

什の掟

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

ならぬことはならぬものです


これではどうでも現代社会には通用しない。それで現在は以下のようになって伝えられているという。

あいづっこ宣言

1、人をいたわります
2、ありがとう ごめんなさいを言います
3、がまんをします
4、卑怯(ひきょう)なふるまいをしません
5、会津を誇(ほこ)り 年上を敬(うやま)います
6、夢に向かってがんばります

やってはならぬ
やらねばならぬ
ヤッテハならぬことはヤッテハならぬものです(コトモノ・モノコト)


よく出来ているというのが最初の印象。だが、もっと対義を入れたほうがわかりやすい。というか間違いが減らせると思う。とくに「夢」という言葉は20世紀の「官僚教師のための教育」そのものだから消去するべきだ。
「21世紀宣言」
1、自分を大切にし。周囲を大事にします
  (自殺なんかしないぞ。環境問題は21世紀の一大事です)
2、ありがとう、ごめんないさいをいいます
   (広い世間に出たとき、忘れてはなりません)
3、我慢している人たちのことを気にかけます
  (一番難しいことですが、目標にしましょう)
4、勇気のない人たちを攻めません
  (一番勇気が必要なのは撤退作戦においてです)
5、いいことも、わるいことも自分であり、郷土の歴史です。
   (一方的に自分たちが攻撃されたら堂々と反論します)
6、勉強と遊びや仕事を通して知恵と工夫のある大人になります
   (努力は人のためにするもので、自分の栄達や学校の対面のためにするものではなりません)

ダメナモノハやってはならぬ・セネバナラナヌコトハやらねばならぬ
モノゴトハ、なるようにしかなりません
ならぬこと(モノザネ)はならぬもの(ジツブツ)です
ならぬコトをなせるモのは知恵だけです。浅知恵は一身国家を滅ぼします


2013.1.18追加;カタカナ部分




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