お子さんはギリギリです (その2)

   前回、抽出した両文対「合格・ギリギリ」について考えていた。
・お子さんは十分に合格です(含意はすばらしい)
・お子さんはギリギリ合格です(含意はよかったね)
・お子さんはギリギリのところで不合格です(含意は残念)
・お子さんは十分に不合格です(含意は仕方ない)
ここで得られた軸名をさらに一般化できないかといろいろいじってみたわけである。

    基盤となる軸名は以下のように考えられる。それを基準にして、前回の軸名をさらにいろいろ展開してみると。軸の英語名も無理なく思い浮かんでくる。

選好   大好き   好き   嫌や   大嫌らい
    love   like   vale   kill
進級問題   すばらしい   よかったね   残念   仕方がない
行事予定   大丈夫   よかったね   残念   仕方がない
試合結果   優勝   よかったね   残念   完敗
道徳       不良  
出世   大成   成功   失敗   成敗
    excellent   good   bad   terrible
量序   過分   十分   不足   欠乏
    dam   good   bad   desert

    逆語序対〈like・kill〉〈love・vale〉については以下も参照ください。
「p13 天地初発 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/shohatu.pdf
「〈it〉は〈それ〉か http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070705
「〈subject〉 と 「てにをは」 と 〈もんく〉 http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20070321 」


   さて、次に漢字「嫌」を穴の開くほど見つめていると、怪ししくも苦労っぽい連想が浮かんできた。まず「兼好法師」。そしたら次にその大先輩女流の随想筆記者「清少納言」。これらは本名ではないから、本人あるいは後世の人たちが「ふさわしい」名前として考え出したいくつかの「字名」のうちで、多くの人がそれに賛同したがゆえに流通している一般名である。
    兼好法師から、「嫌い・好き」を導くのはそれほど難しくないが、度量衡重について考えたことがないと「けんこう・権衡」を導くのは難しく、むしろ「けんこう・軒昂」を導きやすい。が、知的巨人を目指していた本人は「権衡」を好んだものと考える。そうすると清少納言も「量序」だけでなく「択一選好」に関連する認知の基本原理「外挿・外延」に関連付けることが可能になってくる。外延である「浄水・汚水」「清流・濁流」の内包はそれぞれ「水」「流」である。外挿「清浄・汚濁」の内点は何であろうか。今後の課題としたい。以下も参照ください。
「p10 ある実務者の論理 http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/russell.pdf
兼好法師

択一序列   大好       大嫌
権衡量序   大量   多少   少々   小量
    mass   some   mean   none

清少納言

外挿・外延   清浄   清流濁流   浄水汚水   汚濁
量序   冗長多言   多少   少々   舌足らず
    plenty   fair   rough   feeble

    ここで脱線しておくと英語の「fair」も訳しにくい語であるが、原義が「多少」であることを意識化すると「妙・少女」と結びつく。「妙案」「微妙」なども「fair」なのである。今流行の訳語「公平」も、political correctness とは違うのであるからやはり「妙なる扱い」なのである。

   つぎに、音幻幻影「好」「兼」も試みる。

音幻幻影【好】

    これは、「択一選好」をよくよく見ていくと見えてくるのであるが「女・子」ということはそのまま量序「大小」の対義を合成した形であることが見えてくる。似たような造字法がないか探していくといくつか見つかった。あまり出来のよくないものも拾っておくと以下。

   
   
   
    各;冬攵
   
   
   
   
   
    丿
   
    丿
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
   
    十目
   
   
   
   
    書昼争帇帚;事彗
音幻幻影【兼】

    これを見てすぐ気がつくのは何らかの部品を横に二つ並べた形だということである。このような方法ですぐ思う浮かぶのは【土;共】であり、これは「【土;圭】と対形をつくる。これに准えれば部品は以下の可能性のどれか、ということになる。
【乍】【牙】【争】【尸;尹】
それぞれを横に合成すると以下の可能性が考えられる。
【干于个千;キ木禾;丰未末本来】【米求】【三川水】【中束柬乗毎】
さらに合成すると以下
【井丼开冄冃】【丱亜】【尺門】
   このような方法は藤堂氏らの「単語家族」の方法と少し似ているが、あくまでブレーンストーミングの中の一手法として、思考を出来るだけ拡散することに留意して実施した。
    ここから絞込みに入る。


     まず注目されるのが「亜←悪」。現在流通している「好き嫌い」よりも、「好悪」の方がある時期には流通していたのが、「善悪」という仏教用語の普及によって、新しく「好嫌」が使われるようになりそれが中世には優勢になったのではないか、ということである。

主観的択一;好嫌
客観的択一;善悪

    そうすると「善」の本字が「言羊言」の三部品からなっていることを思い出さざるをえなくなる。つまり「好・善」の対義が「直覚・言述」すなわち「道理・論理」にあることが意識に鮮明に浮かび上がってくる。


   ここまで、ぐだぐだ書いてきて、ようやく「兼・子」の一番本質的な差異がわかってきた。すなわち、「ね子こ」の両読みは「見える・見えない」に相当し、十二支における「11・1」を担うので、時間的推移を義するから以下。

空間的両義;兼
時間的両義;子



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