適応障害・発達障害などなど

   茂木健一郎氏がBLOGOSに雅子さまの報道について一石を投じていた。ネットでの反応は低いが、重要な問題提起だ。
   とくに同じBLOGOSに四谷大塚自閉症発達障害対応教材の広告が載っていたので、すこし思い起こしておきたい。http://yotsuyagakuin-ryoiku.com/?banner_id=gr16
     一般的には子どもには発達障害を、大人には適応障害をレッテルとして張っていくわけだが、これらは素人が判別できる固有名ではないということをまず確認しておきたい。あくまで、医師免許をもった人たちが、その所属団体の提示する手続きに従って診断をおこなって、判別していく固有名なのである。
    現行の国民皆保険制度では、まず投薬のための診断名が確定され、それによって処方箋が出されて、治療が開始される。しかし発達障害適応障害もどちらも診療の対象になる病名ではない。それに一般的には随伴すると考えられる、不眠などの症候に対しては処方箋は発行されるだろうが、そこまでである。
    つまり医師免許保持者にはいかんともしがたい病気としてこの二つの障害はあるということである。だからこそ四谷大塚のような教材ビジネスを詐欺あるいは医師法違反と決めつけるわけにはいかない背景を構成する。
     だが、気をつけなければならないのは環境と本人の資質は相互関係だということである。

そこで大事なのは両者の間にいる媒介者の資質が大きく現実を作用するということである。

   現皇后様も当時は固有名はつかなかったが、現在で言えば立派な適応障害を起こされ、医師だけでなく、カンセラーにつかれた。このことはマスメディアを注意ふかく見ていればおのずとと知れた有名な事実である。


     私自身について言えば二人の子どもともすくすくと何の問題もなく育ったわけではない。上の子などは保育園から「つんぼ(ママ)でないという証明書を保健所からもらってくるように」といわれた。ま、結局保健所で「聞こえているが聞く気のないお子さんです。もう少し大きくなれば直ります」といわれて、結果直ったからよかったけど、大変だった。
     それが終わったら次は「お絵かきをいやがる変な子」とレッテルを貼られてまた大変。これは家の近くに元幼稚園の先生という人がいて、「そういう子はお絵かかきではなく粘土遊びさせればいいのよ。垂直場と紙のような平面を一緒にしたくないのよ。そのうち直るわよ」といわれて、発達障害のレッテルを貼られずにすんだのである。
     下の子は腕に嚙み跡があったので保育園にいったら、「普通の子は噛まれたら泣くのにこの子は泣かないから、みんな面白がって噛むのよ」と身もふたもない応対で困ってしまった。結局保育園全体として、こういう子は小学校でいじめられっ子になる可能性が高いから「噛まれたら泣くというトレーニング」を始めます、ということになって、今では強い子になった。


   こういう「ヒヤ・ドキ」経験があると、少し前にNHKで紹介されていた、三人の子どもが三人とも発達障害と診断された父親が、シンガソングライタとして同じような子どもを持つ家庭を励ます音楽イベントを数多く主宰しているという紹介も気になっている。現実にどういう子かわからないから、この個人を軽々しく扱うべきではないが、「子どもの発達障害」によって「偉大な父親」に変身したのだとすれば「三人とも」というのは大いなる勲章であって、父親にとっては「文字通りの子宝」ということになる。

NHKのこういう美談好きには大きな弊害があることを、NHKはわかっていないようなの繰り返しておく。

     数年前に介護生活が始まったときにNHKが応援していた介護ソングというのがあって、私はそれほど感じなかったのだが、もう長年介護をしている友人は「あなたのオムツを換えたように、私のオムツも替えてね」というフレーズが出てくると「逆切れ」しそうになるというのである。「わかってるわよ。わかってるからやっているのよ。うるさいわね」と思ってテレビに物を投げつけたくなる、というのである。
     ちょうどそのころ、私の住んでいる市の介護イベントではたびたびこのシンガソングライターを招く催しが行われていた。NHKご推薦ということで市の職員も安心して企画書を作ったのだろうと思うが、こういうことの積み重ねが費用対効果をおおきく損ねていく。その後、介護に関してはこのソングは急速に下火になり、今NHKがやっている「介護百人一首」はなかなかのものと評価できる。

     少し前の認知症対応トレーニング・キットもそうだったけど、NHKをはじめとするメディアは「提案」という「商品販売」にすぐ走るが、「良不良」という枠組みそのものが問われている、ということを忘れると、当該本人だけでなく社会全体に疲弊が蔓延するようになる。

枠組みをどう現実的に組み替えるのか、そこに第三者の知恵がもとめられている。




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