歌語;「数寄」から「器量」へ

以下の続き。
「お子さんはギリギリです (その2) http://d.hatena.ne.jp/midoka1/edit?date=20130411



   『道元の和歌;松本章男』を読んでいたら、貴族社会の一員として和歌をよくしていた、後鳥羽院に少し遅れたこの宗教家にとっても「数寄」という語が重要だったとあった。考えてみたら兼好法師に先立つ時代のことである。清少納言よりは後ということになる。
   だとすれば以前から気になっていた二つの逆語序対「すき・きず」「すぎ・きず」がこの時期までは多くの人々に積極的に共有されていた可能性を考えてもいいのではないか。そうすると連語「すぎ・すき・きず」も成立する。それが「数寄」という漢字語の流通で掛け語としての神通力を失っていったと考えることができる。
   なぜならば、漢語「数寄」というのは「わび・さび」への偏好が語義であり、それは「栄耀栄華をきらう」ことを求める。つまり「頑是ない子供が何かに執着してそれを手放そうとしない結果、当人は自覚していなくてもそれ以外の大事なものを失う岐路にたつ」という択一一択の高級版・精神版ということだからである。
   一方、「きらい」の原型である「切・きる」と「すき」も、擬似逆語序関係「すき・きる」にあることになる。
    この対が何故気になるかというと英語でも「like・kill」は逆語序関係にあるからである。日本語でも英語でも直示文法に属する、択一一択、そして背反関係をしめす語対となる。さらに思い出しておくと、英語の「kin・know」の義は、日本語では「似ている・知っている」の子音連接を構成する。語頭が脱落すると「in・now」を得る。
   さらに何故だかわからないが、歌語に度量衡由来と思われる「器量」という漢字語がある。これの読みは広辞苑によると「キリヤウ」なのだが、「いろは」にならえば「キレフ」だし、そこから「キラフ」まではすぐにつながる。とすれば兼好法師の「兼キラフ」までも簡単につながる。
    そうすると次に現在女性が圧倒的に多く使う「キレイ」が「キレフ」から派生してきたのではないか、という仮構も導ける。これは母親が幼児に「お手手、キレイキレイしましょうね」といって刷り込む立派な母語なのである。かろうじて雑誌の表題にもなった「ステキ」も頑張ってはいるが、頻度においてはるかにおよばない。だが、こちらも、よく考えてみれば、「すき」の中に一字加えたものときることができる。となれば「すかしている」というのも単語家族の一員に加えてもいいのではないか。
  なにはともあれ、擬似逆語序対「好き嫌い・兼好」が圧倒的に優勢な日本語である。


    なお、和語「きりょう」に相当する二字漢字語は広辞苑だけで以下の4つが引っかかってくる。

器量・蟻量・着料・技量

   とすれば、これらを貫くものが「単位量」であることが視野に入ってくる。そういえば「きれ・ぬの」の違いは前者が「切れ端」をイメージするし、その切り方は「きれる刃物できれいに切る」のであろう。そうだとすれば、そこには「単位量」の義が隠れている。
さらに語頭音を「キ⇔ヒ」変換すると「比量」が得られる。そうすると、以下の連語対が得られる。

器量・きれい・岐路
比量・比例・尋

ここで「岐路」が得られたので、万葉集以来の重要な歌語「羇旅」ともつながった。


逆語序対「すき・きず」「すぎ・きず」
連語「すぎ・すき・きず」
擬似逆語序「すき・きる」
擬似逆語序対「好き嫌い・兼好」
和語の単語家族




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