草の戸も すみかわるよぞ ひなの家

   これは「奥の細道」冒頭の句である。ところがこの句の解釈をめぐっては両説があってきていた。芭蕉パトロンの杉風に買ってもらって、その資金をもとに奥のほそ道に旅立ったという事実をもとに、あるいはそれを公にする為に冒頭に置いたと考えるならば、芭蕉の住んでいた侘びしい草の戸が、杉風の別宅となって雅な雛の似つかわしい家として見事に変わったことを意味することになる。
   これが一般的な解釈。
  だが、と復本氏は、冒頭に置かれたということは、芭蕉としてはその新しいずばらしい杉風の別宅から自分が出立したことを強調していると、解釈すべきだという。『笑いと謎;角川選書1984
    このように両説があってきたのに、戦後になって豪華ではなやかな短冊に記された芭蕉の真筆がみつかり、前節が圧倒的に優勢となってしまったと嘆いていた。短冊には以下が記されている。

・草の戸も すみかわるよや ひなの家


   さて、1998年にこの論考を取り上げた時には、日本の文系社会の「文脈軽視」の証拠として、いわば復本氏によく言えば加上して、本当をいえば尻馬に乗っただけだった。
http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/2genp98.pdf  (14ページ)


  だが、昨年来、自分で古今集万葉集百人一首を通覧してきて、やっと両句は「ぞ・や」の対比になっていることに気がついた。そうなるととりあえず、『日本語で一番大事なもの;大野晋丸谷才一』の末尾に加上して考えていくと、「や・強い確信あるいは断言」「ぞ・質問に答える不確実さの目印」となる。
   つまり豪華な色紙では「家というものそのもの」を取り上げているのに対し、冒頭の句は「これから変わっていくだろう」の義がはっきりする。つまり芭蕉は旅で変わっていき、草の戸は雅に変わっていくと同時にパトロン杉風の人生もますます雅に発展していくことを寿いでいることになる。


【ぞ・や】