古池や 蛙飛びこむ 水の音  芭蕉

    「文鏡秘府論」もいろいろあるようで、図書館で借り出してきた『日本哲学思想史12 平凡社』は誹諧世界に伝わるものらしく、その直前に正岡子規の「古池の句の弁」というのが載っていた。
    要はこの一句だけをありがたがるのは間違っている、ということで宗祇以来の俳句をいろいろ集めて「古池や」の拠って来るところを見出そうとしている。

    だが、伊勢物語を読みはじめたものとしては27段から説きおこして欲しかった。
・我ばかり もの思ふ人は 又もあらじと 思えば水の 下にもありけり(女)
・水口に 我や見ゆらむ かはづさへ 水の下にて 諸声になく(男)

   さらに云えば軽蔑していた古今集とも重ねておくと、いっそう興趣がわく。
【本文】 花に鳴くうぐひす、水にすむかはづの声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌を読まざりける。
【125】 かはづ鳴く  ゐでの山吹 ちりにけり 花のさかりに あはましものを(よみ人しらず)
【124】 吉野河 岸の山吹  ふく風に  そこの影さへ うつろひにけり (つらゆき) 
【123】 山吹は  あやな  な咲きそ  花見んとうゑけん君が  こよひこなくに (よみ人しらず)
【122】 春雨に にほへる色も あかなくに  香さへなつかし  山吹の花 (よみ人しらず)
【121】 今もかも 咲きにほふらむ  たち花の こじまのさきの 山吹の花  (よみ人しらず)
【126】 おもふどち 春の山辺に打ちむれて そこともいはぬ 旅寝 してしが  (そせい)




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