文月や六日も常の夜には似ず 芭蕉

元禄2年(1689年)七夕の前夜、直江津でよまれたという。
    実は聖数七について調べていて『年中行事を科学する;永田久』を繰っていて見つけた。類書では七夕の前日から祭りを準備したりして、わくわくする気持ちを表現していると説明される。
だが、それだけでいいのだろうか。
   百人一首が当時どの程度流行していたかは分からないが、宗祇抄として伝えられているものを本と考えるならば
「世にふるも更に宗祇のやどり哉 」とまで宣言した芭蕉の句なのだから、
夜空の星をうたった6番の
「かささぎの わたせる橋に おく霜の しろきを見れば 夜ぞふけにける 大伴家持」とも関連付けておいてもいいのではないだろうか。


追記 2014.5.24
   姫路の七夕は6日の夕に出し、7日の朝には流すという記事があった。
http://www.sci-museum.kita.osaka.jp/~kazu/tanabata/tanabata.html




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