主部・述部と主語・動詞

   『レポート笠間no57』というのが届いたので、パラパラとめくっていったらこのブログで取り上げてきた『雪国』冒頭の文を例として日本文学翻訳についてのエッセーが出ていた。
   外国人だから仕方ないのかもしれないが、日本語で日本語の文法をとりあげるならば主部と主語は弁別して欲しい。

国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。夜の底が白くなった。信号所に汽車が止まった

   上記文で欠落しているのは主部であって、主語ではない。
    だから補うとすれば「そこは」となる。英訳するとすれば【there構文】以外は考えられない。ただしサイデンステッカーさんは多分最初に【it構文】がひらめいてしまって、英語の "dangling participles" が頭に浮かばなかったので、「動詞・抜けた」の主語を求めてしまったのであろう。
    トンネルを抜けたの主語は確かに省略されているが、英語でも【a・the】の使い分けによってある程度のcontextは表現できる。ここでは【the】を補うことになるだろう。
     サイデンステッカーさんが【there構文】と【it構文】を取り違えたのは氏が東京中心史観になれていなかったせいだと思われる。そしてそれはそのまま川端が仕組んだ落とし穴にはまったことを意味している。なぜならば川端は主部の「そこは」だけでなく、副詞「まだ・もう」も省略しているからである。大多数の日本人読者が違和感を感じないのはNHKなどによって東京中心史観を身につけていて、疑問に感じなくなっているからである。だが、冒頭文は二様の解釈を可能にしている
・国境の長いトンネルを抜けると【そこは、もう】雪国であった。=東京者の心象
・国境の長いトンネルを抜けると【、まだそこは】雪国であった。=上京者の心象

   そして英語では前者の文は【there構文】が相当し前半部分は修飾句となるから主語がなくても英語でも処理できるはずである。ところが、後者は【it構文】が相応し、こちらが従属節の扱いになるから主節の動詞の主語を欠く事はきわめて不自然になる。
・When the train came out of the tunnel, there spread a snowland.=東京者の心象
・When my train came out of the tunnel, it was the snowland speading.=上京者の心象

当然、ここでは【a・the】は「未知・既知」の指標として機能していく。

用語;構造保持訳

 『複数の日本語 方言からはじめる言語学』批判
    参考;「助詞対〈が・を」 http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20090222  
     ここで導出した「構造保持訳」というのは外国語と国語、あるいは標準語と方言、そして古典籍の訓詁においてもきわめて重要な概念だと自負している。もっと広範の方々に共有して欲しいものだ。

dangling participles

http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20130102