Who said What to Whom (その1)

引き続き、2009年に明治書院から上梓された日本語文法書『日本語の省略がわかる本』への批判。本の内容というよりも教科書販売会社である明治書院・編集部への怒りの表明。
   本日の上記表題は問題の上梓本の副題への対比題。その意図は【do・say】の違いを鮮明にすること。前者は全身での動ダウにかかわる動詞で、後者は声セイにかかわる。
  body language ではなく、発声による言語の解釈では、第一に「誰が言ったか」。つまり偉い人や自分にとって大切な子どもや家族が言ったのかがくる。現在のようにテレビなどのマスメディアに取り囲まれているとつい忘れてしまいがちだが、我々は声を聞き分けて、不要な声のからの情報は遮断して生きている。それが賢明で効率的な生き方なのである。
   次に、その声が自分あるいは自分に関係する者たちに向けられているのか、それとも自分には無関係な人に向けられているのかを判断する。
   そして三番目にようやく【WHAT】の内容を聞き分けようとするのである。ここまでは英語話者も日本語話者も違いは無いはずだ。
   このことがわかっていないから、「なぜ日本語には省略が多い?」という間違った大仰な見出しが躍るのである。
  まず文化ノート2の「全部言わない方がていねい」を取り上げてみる
  事例として取り上げられているものは電車内のマナー向上のための依頼文である。どちらも英語でも、簡潔な表癌から押し付けがましいあるいは高圧的な文章考えることができるもので日本語に特有とはいえない。
1)リュックは前に;HOLD YOUR BACKPACK
これは事例とするにはまりに飛躍した意訳なので、そもそも日英の比較にはなじまないが、それでも英語では「動詞の省略がタブー」の領域にあって日本語ではそうでないことはよく理解できる。
   東京の混雑した電車に乗ったことがあれば、この日本語は用をなしていない事がよくわかる。大事なのは「前に」ではなく「背中におきっぱなしにしにないで、手で持つ」ことなのだが、日本語では「もつ」というと「手をそえて支える」というよりは「重力に抗して保持する」の義が勝るので担当者は苦労したのである。

2)一人分に一人;Please sit close to others
この事例になると「日本語は動詞を使うことがタブー」の領域にあるおいう印象が強調される。
   これは「一日一善」のような「標語」であって、実際的ではない。大切なのは「席をゆずり」あうことで、空いた車内ならば、席を二人分でも三人分でも使ってもいっこうに構わないはずだ。解説にあるように「ください」が直接的すぎるならばアナウンスでは「席をつめる」に「御願いします」をくわえればいいだけのこと。標語をならべれば公共道徳が向上するはずというは自己満足の経営姿勢ではないだろうか。
    実際、客同志ならば「つめていただけませんか」とか「ここ、よろしいですか」などと云って、たいていは円滑にことが運ぶ。それを「おつめいただけません」などと馬鹿丁寧にいえば角がたつ。
   英語だって本当のfull sentence の方が「強くて怖い」という例文を一つだけ出しておく
A  Sit down,please.
B  I said sit down.
C  I said that you do sit down.


DO;動ドウ
SAY;声セイ

英語;動詞の省略がタブー.
日本語;動詞を使うことがタブー??