Who said What to Whom (その2)

ひきつづき明治書院の上梓本批判。

文化ノート10 日本語は「なる」言語

   30年前に上梓された『「する」と「なる」の言語学;池上』に加上して、認知言語学派に敬意を表するのはいいとして、批判的摂取という観点が皆無なのはいかがなものであろう。
   ここで取り上げられた文例は全て「伝令の文体」に過ぎない。だから論理的にいえば明治書院と著者は「日本語は伝令の言語」と言っていることになる。それで国語教育をまっとうに運営できると明治書院は考えているのだろうか。では例文を詳細に見ていこう。
1)お時間になりました。 
    これは秘書などが次の予定が入っていることを上申する内容で、ボスには予定をキャンセルする裁量権が担保されていることを明示する文型。
2)お茶が入りました。
    これは宮中などで作業者と運搬役が分化していた生活の反映。上臈などはお末が運んできたお茶を差し出すわけだから、自分で入れたのではないから「入りました」というしかない。どうしても客においしいお茶を飲んでもらいたくて自分でいれた女主人ならば「新茶が届いたばかりなので、入れてみました。お口にあるとよろしいのですが」などと云って差し出すのではないか。
3)JR線にお乗りの方は、お乗換えとなります。
   これは1)と同じでrecomenndationであることを明示する文型
4)(つり銭は)500円になります
    これは計算して結果が500円になったので、それを渡しますといっている。今は計算機が普及しているから間違う確率は小さいが、算盤ではじいていた時には間違う可能性もあるということを担保する文型。
5)(レストランで、)カレーライスになります
    これも伝聞で客が求めたものがカレーライスだという前提で運んだので、間違う可能性を担保するもの。

「動詞なる」は「結果」だけに注目するゆえに第一義は伝令の文体

     人間の行為動詞は一人の人間でも時間的推移によって自動詞だったri他動詞だったりする。例えばある家庭の夕ご飯にカレーライスが並ぶまでを考えてみよう。
1)母親が晩御飯の献立を思案する。
2)カレーライスに決定する;(択一動詞する;カレーライスにする)
3)そのために必要な材料をそろえる(他動詞つくる;人参を買ってきて、刻んで、煮込む)
4)坊やが台所に来たら、朗報を伝える(意向動詞;今晩はカレーライスにする)
5)坊やは他の兄弟と朗報を分かつ(予告伝言;カレーライスになったよ)
6)母親はルーを加えて無事にカレライスになりつつある事に安堵する。(経過動詞つつある)
7)母親は最後の味見をしてカレーライスができた、と安堵する(完了動詞できた)
8)夕飯の席で他の兄弟は喜びを表明する(肯定表現;わーい、カレーライスだ)

   結局、人間の行為は、動作だけでなく途中経過の観察・微小な仕切りなおしなどを加えながら自分のイメージを実現していく複雑な過程だが、その途中で発声することは少ない。発声の中核には自分の行為の意図を告知するものとなる。それを聞いたものが、多くの他者に伝令していくのだから、漫然と風景に身をおくだけならば「なる動詞」の頻度が高くなるのはやむを得ない。
    だが、それが日本語動詞の中核だという予断からは卒業したいものだ。
    行為動詞の中核には「つくる make 」があり、その前段に「何を作るか」という「択一動詞にする」が、ある。最後に満足がいけば「できた」という完了動詞が来る。この三つに経過をしめす「助動詞つつ」をくわえて、これらが日本語動詞の中核にある事を外国人と共有できる国語教育を強く望む。