Who said What to Whom (その3)

    それにしても、著者の名前は聞きなれない。なぜこのような人が明治書院のような権威ある出版社から自分勝手な理論書を上梓できたのだろうか。というようなことをつらつら考えていたら、きっかけになった『国語・国文学総目録2015』の反対のページに『接触場面と日本語教育』というのが掲載されていて、副題に「ネウストプニーのインパクト」とあった。価格から言って、退官記念論文集のようである。著者もメルボルン大学であるからオーストラリア社会言語学会の息がかかっての企画だったのであろう。
   さらにいうと、ネウストプニ先生の切り口が「接触場面」だということはwebをみても出てこない。各出版社のコピーは「新しい日本語教育」の一点張り。こういう挿頭によって弟子たちはかってな主張を大先生に加上して展開できる文化が継承されていく。
   つまり多くの出版社は偉大な先生の著書を上梓できる光栄に浴していると言っているだけ。
   だが、講談社くろしお出版のような商業出版社とはことなって、明治書院は小中学校の教化書販売という国策会社なのだから、指導要領を内実のあるものにしていく努力と責任が求められる。それは研究者とその仕事の評価を詳細に、冷徹に、かつ合理的に実施することを要求される。それぬきには指導要領の空洞化を防ぐことができないとからである。

   最後に『外国人とのコミュニケーション;岩波新書 1982』の一節を引用しておく。
「p117 外国人の違反の宛先人であり、彼らの判定者である日本人も、外国人の行動がなぜ違うかという理解を深めれば、なお相互理解は完全に近づくであろう。」







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