龍の目・日月

 『龍の棲む日本』では「日月」「両眼」と縦書きされていたので見過してしまったが、図で龍の眼の位置を確認すると、横に「日月」となっている。なぜならば古事記にアマテラスはイザナギの左目から生まれた、とあるからである。しかしそうなると左目から始まって「左回りこそがわが国の国体である」という異見がでてきてもおかしくないことになる。あるいは「月こそが始原、日は末」という異見もありうる。
 さらに「音・訓」も同じ問題を提起する。つまり〈にちげつ日月・月日つきひ〉となっているのである。そして、これは〈もの事物・物事こと〉ときれいな対応をする。
 この「漢字の逆接による対語」というルールは日本語理解のうえでとても重要な概念だと思うのだが、学校教わった記憶はない。
 私は「日本の思想史」を考えてきて少なくとも、古事記から明治維新までは3つの〈要石keystone〉ともいうべき対語でまとめられるとの結論にいたった。すなわち〈もの事物・物事こと〉〈みちすじ道筋・筋道すじみち〉〈りろん理論・論理ろんり〉の3つである。だがこういう造語法についての考察はまだ出会っていない。
 最後に吉野裕子氏の蛇の古名は〈カガチ〉という記述も思い出した。この記述も読んだときはピンとこなかったのだけど、新潮ライブラリーで『枕草子』を聞いていたら〈三月さんがち〉〈三日みっか〉と聞こえてきた時にやっと気がついた。〈日月かかち〉であれば龍のシンボルとしての両眼から〈かがち〉と呼び習わしても不思議ではない。ヤマタノオロチは「ホオズキのように赤い二つ目」をもっていたのだから。
 そして今オバカな私はやっと「赤目四十八滝」もまた龍のメタファであることを実感したのである。では、両目とは「伊賀」と「甲賀」か?