「ソロモンの鍵」と月と

      日本史、それも歴史以前のことを調べ始めると、いろいろなトンデモ本が公立図書館に並んでいることに驚く。だが私はなるべく手に取るようにしている。なぜならばそういう本には教科書や大新聞ではお目にかかれない資料が入っているからである。今まで感動したのは加門七海井沢元彦、川崎真治、古田武彦などがある。今回は『竹内文書』をもとに日本こそがユダヤ教の元だという説を展開している『日本書紀暗号解読』を手にとって見た。
   こういう本をトンデモ本というのは、異なる二者に相関関係があるという事実を土台に両者間に因果関係があるという主張を展開しているからである。だが文部省が認めた研究にもこういう論理は多い。というより実用的な研究はほとんど極論すればトンデモ研究である。それを価値あるものにするための方法は二つある。一つは相関関係の適用範囲を厳密に定めておくことである。このための方法が「実証主義」である。もう一つの方法は相関係数の解釈に熟達者、よく訓練された研究者を起用することである。つまり人間主体で科学を運用するということである。だが制度科学は、この「熟達者」を「学位取得者」に還元することで実際には「手続き主義」に堕している。。
    だから逆に言えばどんなトンデモ本でも資料としての価値は未知数である。つまり頭から「価値がない」とは言えない。本書には18世紀に書写されたという「ソロモンの鍵」がエルサレム東方の門に刻印された「16弁菊花紋」とともに収載されている。これでようやく今まで取り上げてきた五芒星、アイソメトリック定規がつながった。その結果、わが国の〈方形〉〈菱形〉の意味づけが明確になった。まとめると以下。
    まず〈五芒星〉というのは古代における〈女性〉の象徴ともいわれ、一筆書きで書く星形である。きちんと書けば5点が円周上にのる。これに対して男性性の象徴といわれるものが、アイソメトリック定規の両正三角形を近づけていって6点が円周上にのるようにしたもので、〈ダビデの星〉と呼ばれる。これは一見、一筆書き出来ないという印象を与えるが、じつはこれも一筆書きが可能である。
    次に正三角形と直角二等辺三角形の二種類の三角形があるわけだが、前者がアイソメトリック定規に使われているのだが、これは正方形は作らず菱形をつくる。一方の正方形は「1・1・√2の直角二等辺三角形」を合わせたものである。
    それにしても、菱形と正方形は象徴的にどういう対比が可能なのかがわからなかった。だが、この〈ソロモンの鍵〉をみて、一つの可能性が見えた。正方形は外接円も内接円も可能だが、菱形は内接円は可能だが、外接円は楕円になるということである。ということは菱形こそが地球系を包み込む宇宙の象徴として正方形よりもふさわしいといえる。あるいは〈ゆれる宇宙〉〈杓子定規ではない弾力的権力運用〉というものの象徴として用いられいた時代が長くあったと思えてきた。あるいは〈菱形が楕円〉〈正方形が正円〉と固く結びついて人々に印象付けられていたとすれば〈楕円〉と〈菱形〉が、〈具体的、感覚的、直感的、弾力的、豊穣さ〉、つまり女性性の象徴を長く担ってきたと考えることはきわめて合理的である。
     それでは、〈楕円〉と〈菱形〉が公式世界から排除され、人間の象徴が〈正円〉に閉じ込められた〈五芒星〉と〈ダビデの星〉に還元されたのは人類史のいつなのだろう。それへの抵抗の歴史もまだ見失われたままである。さらにいえば〈五芒星〉〈五卯星〉〈牛蒡星〉という当て字はわが国の思想史において単なる恣意的な違いとして片付けてもいいのかどうかも検討すべき課題となる。
■16弁花紋と四角形
    さて、頭をほぐし終わったところで図そのものを検討してみよう。もちろんこの図は18世紀に描かれた図であるから3000年以上前のエルサレムの人々の考えと同じである保障はまったく無い。だが文字化されていない歴史を復元するためには、特異な人々がそれ以前の歴史をどのように捉え、解釈したのかという資料が極めて重要になる。私の主たる関心である日本語史、日本思想史の問題でいえば、古事記万葉集を記述した人々の歴史観が極めて重要なわけだが、、それにたどり着くためには空海古今集枕草子源氏物語方丈記花伝書芭蕉、契沖、良寛宣長、明治の言文一致運動のそれぞれが、それぞれの、それまでの日本の言語史・思想史をどのように捉えていたのかも重要になる。そして時代背景がわからなければ結局のところ記述されたものを読み解くのも難しいわけだから、先人たちの〈テキストを読み解く〉ためのそれぞれの時代の大枠、つまり生活通史が大事になる。
     まず、図には4つの四角形が出ている。これで16の含意は解決する。
    それでは同時に描かれている三つの円は何を意味するのだろう。一番中にある円は単線で描かれ、外側の二つは二重線で描かれている。とすれば単純にいえば中の円が〈人間〉で、外の円は〈世界〉であろう。だとすれば人間と世界を隔てている二つの正方形の含意は〈立方体〉と考えるしかない。だが〈立方体〉は現在の我々の感覚から言うとその含意は〈6〉なので、図とはつながらない。そこで思い出したのがわれわれが学校で習った〈北〉は江戸時代までは〈北極〉をさしていたのではなく〈北面〉をさしていたという歴史知識である。江戸時代までは方囲はむしろ〈丑寅・辰巳・未申・戌亥〉が常用されていたという知識である。とすれば水平線と垂直線で構成された四角形の含意は〈東面・南面・西面・北面〉〈丑寅・辰巳・未申・戌亥〉の〈八方囲〉。

馬鹿みたいであるが、立方体は〈6面・8点・12線〉であることをやっと意識に上らせることが出来たわけである。

     であれば、図の上部に置かれた菱形は大宇宙の運行を意味し、菱型の下におかれた二重円の中にあるもう一つの方形がこの世の天体の運行を表彰しているに違いない。すなわち季節を含意すると考えるのが妥当なところであろう。季節といえば一年。一年といえば十二支を連想するのが江戸期までの日本人の常識であった。ここで、八方囲の考え方を援用するならば、4直線が〈冬夏春秋〉に当てられ、4隅は季節の変わり目〈丑・辰・未・戌〉が〈秋分・季冬・春分・季夏〉である。
    まず、〈辰;冬至〉は、〈北極星〉の別名が〈北辰〉であることより容易に連想できる。〈星〉の字義を調べると〈日≠sun〉〈日=キラキラ光る〉と出ているが、星々の中の星といえば太陽なのだから〈辰→北極星→不動の極星→万星の王たる太陽の生まれるトコロ〉という関連付けは突飛ではない。とすれば太陽のきざす最初の冬至を〈辰〉に関連付けないほうが別のはっきりとした理由を必要とする。
    次に〈未;春分〉は〈春分;きさらぎ〉であることより〈未;未来;きざし〉という意味とすんなり結びつく。傍証としては〈未;ひつじ〉の訓読みをあげることができる。これにより日本語では〈音韻ひ〉に一貫した意味が与えられたのである。すなわち、

〈ひとつ、ひがし、ひつじ、ひしがた、ひだり、ひく弓、ひく潮、〉

   〈戌;夏至〉はこの中で一番容易に推量できた。ただし現代の中だけに生きている日本人には難しいと思う。私はこの数年〈月のみちかけ〉〈潮のみちひき〉という対句にこだわってきて、太陽神崇拝の始まる以前には月齢には別の呼称があったのではないかと、いろいろ試行錯誤を重ねてきて、現在のところ、以下ではないかと考え始めている。

月齢は〈ふんわりした・固くひき撚られた〉と呼ばれていた。

この結論については別の機会に検討するとして、そのようなことをとりとめなく考えていて、ようやく〈月が欠ける〉という表現に納得できるようになったのである。これはまさに月齢が紡ぎ糸のように力を抜けば復元してしまうような自立的存在でも、潮のような自然現象でもなく、月自身は変わらず真円なのに何かが月の光をさえぎって見えなくしているという考えの表明なのである。つまり毎日、月蝕が進行しているという風に考えるから〈月が欠ける〉という表現になるのである。その月を抉るものが〈日〉であり、それは大きくて丸い、金太郎が担いでいるような〈鉞まさかり〉なのである。
     冬至のころの太陽はありがたくもやさしい存在だが、夏至のころの太陽はじりじりと暑くつらい労働の日々の随伴者であり、それこそが太陽を太陽たらしめている本質なのである。だから〈戌;夏至〉なのであるが。だから、誰も感謝の表明などしようとはしない。無くてはならないとは知りつつも敬して遠ざかりたいのが〈真夏の太陽〉。月齢の時代のある時代から、月は現象ではなく、日と同じく普遍の存在になり、月と日の関係という現象に人々が関心を示すようになったのであろう。そのときに〈日・鉞〉のメタファが流行したのである。
   最後が〈丑;秋分〉。これが一番難しかった。だが、〈戌;夏至〉を読み解く過程でようやくすっきり決まった。〈丑;すぼめ引き締める〉であるから、最も固く月を撚りきった時期のことである。だからこそ〈八月の八朔〉は〈朔の翌朝〉なのである。月を糸撚りと関連付けていた時代がかつてあったということ。そして八月の条件は秋分の日を含むことなのである。
    これで〈春夏秋冬〉〈未・戌・丑・辰〉の〈八節季〉が得られた。これはちょうど現在の十二支の割り当て方から見ると夏冬が逆転しているように見えるが、これが古代の季節感であったことは間違いないと思う。傍証の一として以上の結果を図式にしてみよう。

[丑] [ ] [辰] [ ] [未] [ ] [戌] [ ] [丑]
[秋分] [ ] [冬至] [ ] [春分] [ ] [夏至] [ ] [秋分]
[ ] [ ] [太陰] [ ] [ ] [ ] [太陽] [ ] [ ]

   以上で〈太陰・太陽〉の対語もきれいにおさまり、傍証として使えるように思う。ところがこれに月齢を組み合わせようとすると、前にも考察したように、現在の十二支の逆序をつくらなければならなくなる。

[未] [ ] [辰] [ ] [丑] [ ] [戌] [ ] [未]
[三日月] [ ] [満月] [ ] [つごもり] [ ] [朔] [ ] [みか月]

    したがって、もし、「古事記」が伝承されていなければ、私の仮説はお蔵入りになるのだが、イザナギイザナミのところの記述から、ある時点までは「反時計回りが正」であった時代があったことを証拠として使えるので、私の仮説の傍証に上の二つの図式は使えるのである。
    もう一つ、三つの漢字を比べるとさらに私の仮説イメージが優れていることがわかる。以下。

[末] [未] [束] [東] [末]
[朔月の出] [みか月の出] [半月の出] [満月の出] [朔月の出]
[待つ] [未明] [昼] [夕月] [真っくら]

   月齢中心の時代にすでに時間の軸として〈末・未・末〉という概念が確立していたことがわかる。ところが太陽暦が導入されることになり〈満月の出る東→太陽のきざす東〉へと意味が書き換えられたのであろう。だが、、音韻イメージ〈きざし・未・ひつ〉は、十二支とともに長く伝えられてきたのである。そして正式にはイスラムなどでも〈朔〉の次は〈三日月〉から始まるのであるが、かすかに見え始めた〈翌朔〉に〈二・維〉の意味を与えて、さらに注連縄を〈二日月=ヰ月〉のイメージとして大事にしてきたのだと思う。その後皆が漢字を知るようになり〈うし丑;牛の声モー〉を得て、〈ひ・も紐⇔縄・つごもり〉の掛け言葉も使われるようになったのであろう。もちろん、このことは先にあげた〈音韻ひ〉にもう一つ〈小さいもの・はじめの一歩〉の音韻イメージを付け加える。

[戌] [ ] [維] [ ] [未] [ ] [辰] [ ] [丑]
[朔] [ ] [ヰ月] [ ] [みか月] [ ] [満月] [ ] [つごもり]
[初夜] [ ] [二夜] [ ] [三夜] [ ] [十五夜] [ ] [つごもり]

    さらに、旧暦の月読みを参照しておく。現在は〈しはす・師走〉という当て字が広辞苑その他の国語辞典において規範として流通しているが、日本書紀は〈季冬・しはつ〉〈春分・きさらぎ〉という読みがかつてあったことを証拠立てる。〈絞りきった弓こそが初発のメタファ〉として似つかわしい、という思想が、ついこの間まであったのである。それは月齢とともに育まれ、伝承されてきたのである。それは支配者の思想であって、よき支配者とは満月の夜に民百姓が陽気に騒げるように、〈朔〉において呪術も含めて用意万端整えるべき人々であった。

[戌] [未] [辰] [丑]
[ ] [ろくがつ・みなつき] [ ] [じゅうにがつ・しはつ]

■〈八節季〉と〈正逆一如〉
    さらにこの〈八節季〉と〈八方囲〉では図形のイメージがまったく異なっていることがわかる。〈動・静〉である。それがまたわが国の固有信仰と通底する連想を可能にする。
     つまり〈八節季〉の上半分は〈∧〉を連想させ、これは日本中にごろごろしている山々へとつながる。その総本家が高千穂に立つ「天の逆矛」であろう。これがどのくらい昔から置かれているのかについての考証は難しいだろうが、少なくともキリスト教を迎撃し終えた江戸期には建立され、その後は維持されてきているはずである。当然〈∨〉のシンボルもかつては重視されていたはずであるが、現在の我々には容易に思い起こすことができない。以前書いたが私の頭の中をひっくり返して出てきたのは〈ニ上山〉の鞍部であるが、自信はない。だが〈∨→∪〉と変換すれば、日本中いたるところにメタファが存在する。神社にかかっている注連縄で、その総本家が三輪山の奥の鳥居。
      また、神社の〈茅の輪くぐり〉の習俗がいつごろから行われ、神社によって〈真円〉〈方形〉の両様式があり、くぐり方も〈片くぐり〉〈8の字くぐり〉の両様式があるようだが、それらの歴史的経緯も興味深い。結局はともに〈正逆一如〉を教化しているわけだが、概略としては、上向きが〈∧〉、下向き〈∪〉という形式を保存してきている。それは〈∪〉には〈上弦月〉と〈重力によるたわみ〉という二重のメタファが古い時代に定着していたからであろう。むしろ〈八幡つくり形式〉の屋根の形が〈∧〉〈∩〉の表象の繰り返しであることは〈逆矛〉〈逆注連縄〉の表象化に他ならないことが読み取れる。
■方形と菱形と
     以上、〈八方囲〉〈八節季〉で〈数16〉を得る。だが、そうすると最初の〈4つの四角形=16〉の仮説はぐらついてくる。〈上部の菱形〉は〈八節季〉と〈八方囲〉の違いを明示するための図形であり、中心にある四角形も人間の中にある心が菱形モデルでなければならないことを示しているとみるべきであるようだ。とすると本図はエルサレムの東の門にあったという「16弁菊花門とは直接関連が無かったのかもしれない。
     だが、ここここに至っておもうのは、現在の我々は菱形と方形の違いなど算数の時間にしか気にしないが、多分昔の人々にとっては決定的に違う意味を持っていたらしいことである。私も雛祭りの〈菱型もち〉になじみがなければ、この図をこういう風に読み解くことはできなかったと思う。西洋では菱型はダイヤモンドに近いメタファであるように記憶している。とすれば無学な庶民の女の子からは取り上げられてしまっているということである。
     だが、一方で、西欧においては、よくある女の子の名前の一つがダイアナで、これはギリシャローマ神話の「月の女神ダイアナ」から来ている。だがら西洋の女の子の方が〈ダイヤモンド→月〉という連想は日本の女の子よりもはるかに身近である。私もようやく雛祭りの〈菱形もち〉が〈月〉と関連があるのかもという連想を今になって、つまり還暦をすぎてからやっと得ることができたわけである。
    だから、偽書関連の書物は今後とも、まずはチェックせざるを得ないのである。


逆語序;〈紐ひも丑・牛もう〉