ののしり言葉 と音韻文法

   外国人に日本語を教えていくと、ののしり言葉〈馬鹿〉を英語に訳してほしいといわれることがある。たいていの日本人は〈fool〉という語を思い出すようだが、それは違う。だから相手は怪訝そうな顔をする。つまり〈馬鹿〉という語が使われていた場面と、〈fool〉が結びつかないのである。堅苦しい言い方をすると、語用論から納得できないのである。
      私は二年間ほど USA の小学校に通っていたから、わかる。私の最初に覚えた言葉が〈stupid〉なのである。
   日本語の<馬鹿>もそうだが、〈stupid〉もその由来というか本当の意味はわからないで使っている。ところが一年ほど前、ひょんなことから〈stupid〉の方は判明した。ラテン語由来で、相手が管理している犬を押さえつけろ、という命令文なのだそうである。つまり他動詞文〈Stop it!> の訛った語だということだ。ヨーロッパの町を一度でもぶらついた事があれば、思い当たるとおもうが、あちらの犬の代表は猟犬、それも幼児よりは大きい種である。さらに Laten 語が England にはいった時代の Roman 帝国では奴隷を猛獣と戦わす entertainment が盛んだったのである。そういう状況を思い浮かべれば形容詞の意味とも通じてくる。
     と考えていくと、 に対応する日本語は母親の発する〈め!〉であることに思いいたる。煮えたぎるやかんに向かって手を伸ばしている幼児に向かって母親が絶叫する<め!>には確実に幼児を freeze させる効力がなくてはならない。つまり子どもを麻痺させる言霊の力が備わっていなければならないのである。それが<め!>という一音節語の本姓である。だからこのままでは霊力が強すぎて構文には取り込まれなかった。今に伝わる姿は〈駄目〉。だが、丁寧語〈駄目〉にはののしり言葉としての迫力はない。〈駄目夫ちゃん〉くらいしか思い浮かばない。

だから と<駄目>が何故対応するのか、まだすっきりしないできた。

     ところが逆語序という概念を入れて考えてみたらかなり必然性が見えてきた。 方法はこうだ。<駄目>をひっくりかえすと <メだ>となる。もともとの語は <メ>の一音節語なのだから、そこに 音節<ダ>を付けるとして、前に付けた場合は <体言>で、後につけたら <用言>という文法を仮構して考えてみた。 整理すると以下のようになる。これは<め新しい・あたらし目><竪橋・橋立><竪琴・琴立て>と同じ rule である。
・<用言だ><体言め>→<体言だめ>
・<体言め><用言だ>→<用言めだ>

  参考 ・<あたらし目・め新しい>
      ・<用言たて><体言はし>→<体言たてはし>
      ・<体言はし><用言たて>→<用言はしだて>
      ・<用言たて><体言こと>→<体言たてごと>
      ・<体言こと><用言たて>→<用言ことだて>

このように頭の中を整理しおいてから、辞書語 <馬鹿>を使ったphraseをいくつか考えると以下のようになる。
①<この、馬鹿めが><あの、馬鹿めが>
②<そんな、馬鹿な>
③<直示体+は、馬鹿だ>
④<私って、馬鹿ね><私、馬鹿よね>

   下品な言葉の撲滅運動が盛んなので、由緒ただしい、かがやく悪態語の文法を思い出すのに時間がかかったわけだが、めんと向かって相手をののしるときは最後を「め!」と終わるのが文法的に正しいことをやっと思い出したわけである。<この、とんまめ!><この、うすのろめ!>と続くはずだ。
    そして庶民とは上品ではない人たちのことだったのだから、世間には< 〜め!>が溢れていたはずだ。つまり<め!>の inflation を起こしていたのであろう。それで、②以下の文体が確立する時期には<め>が脱落して<駄>の部分を担う<馬鹿><とんま><うすのろ>が独立した名詞として機能するようになったのであろう。膠着語の宿命である。
     その中の代表として<馬鹿>が選ばれて、<駄目><馬鹿め>の音韻連想、つまり語末音韻イメージに支えられて機能しているのが現在だろう。ここの例からだけでは④の〈助動詞だ〉と<駄>が同祖とは言えないが、もしかしたら将来は言えるようになるかも知れない。
    さらに、広辞苑に出てくる助動詞<じゃ・だ>説を考えていくと〈じゃま・だめ〉の関連も気になってくる。母親が使う場面を想定すると<邪魔よ><駄目よ>は正反対の行動を子どもに要求しているのだ。そして<邪魔>を介すると他動詞命令文<せまれ・せめよ>が、逆語序と母音屈折で導ける。

・<ア・ア> <邪魔よ→どけよ→溶けよ→<なくなれ> →→→→→のけ!→寄れよ
・<ア・エ> <駄目よ→とまれ→凍れよ→<禁止・抑圧> →→→居れ!→やめよ
・<エ・ア> <せまれ→行け→命令>
・<エ・エ> <せめよ→拷問・戦争用語>

   普通の人なら日本語の特徴を一つだけ挙げろといわれたら、開音節語と答えるはずである。だがその機能についてきちんと論じている文献を見たことがない。そして母音交替などというただの現象記述語が大手を振って歩いている。
   しかし、万葉仮名も読めず、旧かなが身についていない私は、日本語文法は開音節構造の機能というか必然性を担保すべきだと考える。つい100年ちょっと前までは正規の識字教育を受けていた人たちはごく少数だったからである。それが母音屈折であろう。
   それとともに祖語論で盛んに使われる<基礎語>の定義も<書き言葉>を主軸にしたものから<話し言葉主体>、それも公用語ではなく<母語>を主軸にしたものに組み替える必要があると考える。明治時代にはこういう原則は現実化不能であったが、今や帰国子女も増え、外国人もたくさん日本に住んでいるのである。そのような原則をうち立てても<絵に描いた餅>には終わらないはずだ。その先に無文字社会で使われていたはずの「音韻文法」という新しい世界をきり開いていけるに違いない。


■17日の朝刊に「36年ぶりに日本で狂犬病発症者」という見出しがあった。さらにみていったら、その前の発症は70年で、いずれも外国で感染しているという。だが私が子どもの頃は犬を見たら狂犬病と思えというくらい、怖い存在だと教えられていた。とすれば〈怖い・凍る〉も容易な転移だということだ。