では、フンボルトは日本語について何を書いているのだろう。
二つの文章中で、アルメニア語の直前で取り上げられ、少しだけ違う二つの節があった。だが、フンボルトは直接日本語の採集をしたわけではなく、すでに日本語の直示辞系が〈こ・そ・あ〉であることを前提にした報告についての考察を行っていた。それは、我田引水かもしれないが〈あ〉は〈こ・そ〉に対して少し毛色が違うといっている。だが、英語だって〈here, there, over there〉の形式を見れば三つの関係を等距離とは感じないから当然の考察だ。
フンボルトが例示しているのは連体詞〈この・その・あの〉と代名詞〈これ・それ・あれ〉一つで、日本語話者にとってなじみのある卑語代名詞〈こいつ・こいつら・こっち〉系統は出てこない。その上で、〈このアタリ→こなた〉となって人称代名詞が導かれたと推量している。
その前提の上に、フンボルトがとくに気にしていたのは、場所指示としては〈こ・そ・あ〉が機能しているが人称代名詞として確立しているのは上位者からは用いられる〈そなた〉だけであること。そして下位者からは用いられる〈こなた〉は一般的でないとしてる。つまり報告者によってはまったく取り上げられていないということである。
さらに、それにしても自己の領域から出てくるはずの〈こなた=このあたりの方〉がどうして身分の高い人をさすのか不思議だとコメントしている。
この文献を、1月の「認知言語学による大和言葉祖語へのアプローチ」を書く前に見ていればと残念至極である。私の解析によって、直示辞〈そこ・底〉の多義性が取り出されている。これによって、フンボルトの疑問は簡単に説明できる。逆に私がこの文献を知っていれば、1月の時点でもっと強く〈そこ=底〉〈ここ=長のいる場所〉という主張を展開できたのである。
http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/gengo06.htm
さらに、興味深いのはフンボルトは日本語の〈こ・そ・あ〉を自分の母語のドイツ語と比較するのではなく、ラテン語〈hic・iste・ille〉を介して納得していっていることである。だがドイツ語は無理としても日本の準公用語である英語と、日本語〈こ・そ〉を比較すれば〈here・heave・heaven・上〉と〈there・神からの人々への呼びかけthy〉がすぐにも連想できる。つまり英語の〈here・there〉と〈ここ・底〉は相似関係が存在することが了解されるのである。
これはちょっと考えれば当たり前なので、古日本語が琉球語やアイヌ語など日本の周縁部に残っているという立場からは日本語と英語にこそユーラシア大陸祖語が濃厚に残っているという仮説が導かれるべきなのである。だが今までに、いくつか英語と日本語の比較研究を見てみたがすべて〈訛転・転訛〉という19世紀のインド・アーリア語祖語研究の方法から脱していないので、興味ある結果は少ない。
私の仮説は、今回の事例や〈flour・flower〉のような概念の対応関係と多義音韻を関連付けて行けば、祖語そのものもだが、なにより、祖先のモノの見方や価値観の〈みち筋〉を復元できるのではないかということである。英語も、日本語の漢語に相当するラテン語により書記言語の確立を行ってきている。その途上でEngland語、 Wales 語、Scotland 語、Ireland語などを取り入れつつ隠して、音韻と書記の融合分離を繰り返してきているはずなのである。だったら日本語と英語との両者の成り立ちのうちに隠れている相関を探して行くべきなのである。
それにしてもドイツ人のフンボルトが講演においてすら、自分の母語とではなく、まずラテン語を基準にして、世界の諸語を考察しているという事実は、言語学を学ぶときに忘れてはならない。ロシアの知識人は素直にヨーロッパ標準語としてのフランス語を受け入れたし、フランス語とラテン語とは、ドイツ語や英語との距離に比べれば近い。だがプロシャ帝国はフランス語よりは死語のラテン語を好んだようである。このような、それぞれの学者自身の母語への〈親疎・疎密〉感が、〈フンボルト→ソシュール→意味論・記号論→アメリカ構造主義言語学〉という言語学を担った人々のそれぞれの理論そのものに微妙な影を落としていないはずがない、と改めて思いいたした。
ライプニッツ |
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