日本語「2たす3は、5」は、英語「2plus3equals5」の翻訳なのか

   上記のような大意のブログがあったので、ちょっと考えてみた。それは違うだろうと考えるからだ。自分たちの現状の不満を外来文化のせいにするのは良くない習慣だとも考えているからだ。
   これは現在の日本人が助詞〈ハ〉の本質的な機能を見失った結果だからであって、英語教育が悪いわけではない。日本語教育の勉強を始めて6年近くなるが、この分野では〈は・が〉の対が大問題のようである。そしてどの説明を聞いても結局よくわからない。それは第一に国文法の〈てにをは〉を読むときには〈デニヲバ〉という有声音で読み上げられるべきであることを忘れているからである。文節末の指標としての一字助詞で無声なのは〈か・と〉のみで、あとはすべて有声音である。
    そして、カナのハ行音は声では清音、濁音、半濁音を指示している。その上で文節末指標として有声音〈ワ〉も担っている。これでは指標機能の不全を起こしても仕方ない。それは英語教育の責任ではない。
    さらに日本語の二重言語性という問題も視野から欠けているから、どのようにこのような混乱を立て直すべきかも考えようがない。石川九楊は漢字と仮名文字という二重性を取り出したが、それは本質のごく一部を取り出したにすぎない。日本語の困った問題は大きくは動詞文と名詞文の二重性から来ている。英語でも動詞への習熟というのが、言語習得の筆頭課題であるのは間違いないが、日本語の特徴は動詞、とりわけ他動詞の習熟を要求されるのは実務者たちであって、殿上人ではないということである。したがって、能力もないくせに偉そうにふるまいたければ、名詞文や自動詞文を多用して実務者を煙に巻くというレトリックが厳然として幅を利かせているということである。詳細は展開しないが、秘書による伝言文を書いておく。これを見れば上位者、とりわけトップの語彙指標が他動詞ではないことがよくわかるはずである。
   ・部長、明日、お話が あるそうです。
   ・部長、明日、お話が(/を)したいそうです。
   ・部長、明日、お話を させていただきたいそうです。

   では、前置きをおえて、本論にはいろう。こういう一般的に繁茂しているあいまいな日本語の問題を考えるときは自らを実務者の位置において、動詞文に言い換えてみることである。間違っても、かつて、男女ともに、お歯黒をしていた、殿上人に自らをなぞらえないことである。
  ・2に3をたせバ、5となる。
  ・2に3をかけれバ、6となる。
ところがご下問になる殿上人の形式は名詞文が一般的なので、答えの発語では〈ハ〉を用いることになる。
  ・(ご下問) 2たす3では、いくつか。
  ・(ご返答) 2たす3では、5となりまする。
この形式が下々までもがこぞってお歯黒をするようになった江戸時代に、民間に流通していったとして、崩れの形式は二通りあるはずである。
  ・(ハ省略) 2たす3デ、いくつになるか。
  ・(   ) 2たす3デ、5となります。


  ・(デ省略) 2たす3は、いくつか。
  ・(   ) 2たす3は、5であります。

   げに、助詞〈デ〉こそが、動詞文の語彙指標なのである。英語の〈equals〉はまさに三人称単数の動詞形であって、be動詞の〈is〉でも、名詞でも形容詞でもないのである。お文学なら、いざ知らず、実務者を養成するべき理数教育では動詞文は動詞文に翻訳する努力をしていきたいものである。



補足;久しぶりに、棚の整理をしたら、3月30日の新聞の書評記事が三つほど出てきた。一つが『日本語と日本思想』についての野口武彦氏の手錬の文章であった(朝日新聞)。そこに和辻が「がある(存在)」と「である(繋辞」について分析を試みた、とあった。今度チェックしてみよう。あと〈copula〉も要チェック。

keyword;動詞文法