ミセ屋・メシ屋・洋食屋・ファミレス・居酒屋

  先日、NHKでは、ファミレスで、料理を持ってくるときに例えば「こちら、ハンバーグになります」という接客マニュアルが適当か否かという話題が取り上げられていた。
   肯定例として駅員が客に発着駅を聞かれて「10番線ホームになります」というのはよろしいという説が展開されていた。だがその理由については、関西言語学会王国(realm)の流行語にしたてられた「役割語」とだけ関連付けられていた。だから客同士で使うのは正しくないという説明だった。

だが、これは場面の違いが最大の要因でなければおかしい

    役割は場面に付随する、つまり従属する概念でしかない。認知言語学の用語でいえば下位の階層概念である。翻訳言語学は、この「場面」を「文脈」とおく。これは書記体の分析にはそのまま有効でも、会話体の分析においては取扱注意が求められる。
    


   肉屋に入って、客が、コロッケにしようか、トンカツにしようか、あれこれ迷ってさらに肉屋のメニューをみてどれかを択一するという事例は少ない。だから客の注文の一般的な発声は、ガラスケースの中の現物を指ささないまでも目でおいながら「コロッケください」となるはずである。それに対して店員が「はい、コロッケになります」といって差し出すということは考えにくい。
   あるいは客がコロッケとトンカツの両方を注文して出来上がった二つの包みの説明として以下のどちらの発声がふさわしいか考えてみればわかるはずだ。
  「こちらがトンカツになります」
  「こちらがトンカツでございます」
   それが、レストランではメニューの中から選ぶことも消費行動の一部なのだ。だから女客の注文の発声は一般的には「私、コロッケにするわ」となる。これは択一したという点にウエイトがある文なのだ。メシ屋から高級レストランまで同じことである。
    しかも少し前まではメニューには料理名しか載っていないのがフツーだったし、その名前を見て注文した料理がまさに自分の注文した料理であると、洋食屋のような時代の先端をいっていた業種では、その客が瞬時に判断できる保証は少なかった。とすれば注文した名前から現物が出てきたという意味で「〜になりました」が文法的には正しい。だが、それではあまりに書記言語っぽいので現在形「〜になります」を使ったというのは、言語的センスとしては悪くない。ようするに「ありがとうございます」か「ありがとうございました」か程度の差異だ。
    それが現在のファミリーレストランにおいてもセンスがいい日本語かどうかは私にはわからないが、バッシングしなければならないほど悪い日本語ではない。高級レストランではどのようにしてウエイターは届けているのだろうか。もっとも高級レストランというのは、一座の大勢の客の注文を一挙にさばくということは慮外でいいから、「僕はうなぎ・僕がうなぎ」などという悪文も生成しようがないチャネルである。
    さらに言えば現在の高級レストランの代表的ビジネス・モデルは「おまかせ」であるから、主客は文字通り主が主導権をもっていて、客は対象化されている。当然言葉遣いにも其の実態は反映されてくることになる。もっとも、今や死語に属する高級料亭のオカミなら、客との親疎によって以下のような文型を使い分けるのではないだろうか。
「お酒は何になさいますか」
「本日は、どのようにいたしましょうか」
    テレビの中でもう一つ、適当な例として挙がっていた「領収書」では、領収書を渡す時には当然書き込む金額は計算してから発行するわけだから、客の依頼から手渡す時までには時間とそれなりの作業がかかっているから出来上がったという意味で「これが領収書になったものです⇒領収書になります」という定型文型が出来上がったのだと考えるべきであろう。それによって単なる途中の計算書ではなく、択一された領収書だというニュアンスが強まるのだ。
   ここまで場面をいろいろ思いおこしていけば、以下の由緒正しき文型が頭に浮かんでくる
「預かり金1000円から商品代金700円をひくと、おつりは300円になります」
   参照;http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20100306(助辞から)
       http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20100319(接尾辞から)
    駅員の場合は場所択一の問題だから古風な敬語であれば「こちらになってください」は妥当な日本語だ。そこから客の移動を促すのではなく場所を指示するのだからということで「こちらになります」が出てきたのはそれほどおかしくはない。「10番線になります」は、そこに個別の名辞を代入したシンプルな文だ。
   駅での客同士の場合は一般的には両者とも、ホームを択一するほど駅空間を掌握していないし、「おなりになる」のような敬語は使うべきでない。
    ただし「こちらにおなりになってください」のような敬語がすたれてしまえば、若い人が「なる」に、「生成する」というただ一つの意味しか感じ取れなくなるのも仕方がないかもしれない。ただしそういう若い人の感じ方を絶対化するのは日本語を貧しくする道だと私は考える。
   「なる」には「移動」の意味もあるんだよ、と。
  そこから「推移」のニュアンスが出てきてね、と。
  そもそも、「〜ヲなせ」は立派な命令形だったんだよ、と
   ところが、ネ、ある時、関東言語学会王国が対語〈なる・する〉を流行語に仕立てたのよ、と
   それから翻訳言語学王国においては〈なせよ・なさせよ〉の対語が焚書坑儒されてしまったのよ、と
   だから現在は〈なしとげる・そいとげる〉も死語になってしまってね、と
   繁茂しているのは〈なりあがり・しりあがり〉などのチマチマした語彙ばっかり、と
   こういうことを、きちんと説明できる学識経験者がいないのであれば日本語が貧しくなるのは仕方がないことでもある。もっとも十分に貧しくなっているから「くもきり」「むろこけ」の八字に〈移動・生成〉の対義を読み取れなくなっているのだ。http://homepage2.nifty.com/midoka/papers/ametuti.pdf


   あるいは、紹介場面においても、私は現場に行ったことはないがキャバレーとかだったら以下の発声がありえるのではないか。
 「こちらがリカちゃんになります」
  リカちゃんというのが符牒にすぎなくて、せいぜい写真を見て指名した場合、客の期待にそえない場合も考慮した文型が求められるからである。この文型はデパートで父親らしい人物が見たことのない「リカちゃん人形」を所望した場合にも使われるはずである。
 なぜならば、「こちらがリカちゃんです」だと、問答無用のニュアンスが強くなるからである。そもそも「デアル」は漢文読解にともなって普及した語句だから,師や上長からの「断定文」が想起され、反論などとんでもない、というニュアンスになる。 それを和らげるには和算などで生徒の発声として定型化されてなじまれてきた「なり」を使うことだったのだ。
    このことは以下のクイズにおいて、識字教育をうけた日本語話者であれば、(1)をまず択一するであろうことより支持される。
・以下の、師からの下問に対する応答文型として適当なものはどちらか
   師「これはパイプであるか」
     (1)はい、これはパイプであります
     (2)はい、これはパイプである
     (3)はい、これはパイプでございます
     (4)はい、これはパイプで(ゴザイマ/アリ)す



   ふり返ってみれば、明治期から啓蒙啓発されて定着してきた学校文法で扱う文末対〈です・ます〉は、深層に役割対〈断定者・報告者〉を従えている。それは翻訳論理学でいう〈演繹・帰納〉にまでつながっている。
    だから、村の子供たちが名前を聞かれて「太郎」としか答えないのでは、sentence概念を解しない野蛮人に映るからといって、「太郎です」という啓蒙文型を創案して教化にまい進したことが間違っていたとまでは言わない。それが下々にまで断定文型を使わせるきっかけになったとすれば、一定の役割を果たしたわけである。
    だが、新入社員が「山田太郎です」というのを聞いて、「なんて偉そうな奴だ」と感じたのも無理からぬ筋だったのだ。だからビジネス日本語では「山田太郎と申します」と「ます」を使わせる。一方軍隊ではせいぜい「山田新兵であります」という折衷文型までがローコストの現実的な対策だった。とにかくこれで会話の場面で、下位者が文末「です」を使うという驚天動地の日本語改革はとん挫した。
   ついでに脱線しておくと、紹介文「こちらは山田でございます」は非文。謙譲するなら「これは山田でございます」と、自分の連れについては、者ではなく物扱いして卑下するのが日本的美徳。それは「愚妻」や「豚児」という慣用句として残っている。愚妻が夫を紹介する時も「これは宅のシュジンでございます」と謙譲文型をつかう。とスれば「ございます」には謙譲の手あかがくっついていることになる。とナれば「客の注文したハンバーグを謙譲するのはいかがなものか」という心理が働くのも一理あることになる。
   とにもかくにも、昭和の日本語改革はこれでメデタシメデタシで終わったわけだが、平成にはどのような改革が待ち受けているのでしょう。



逆語序対〈まあい・あいま〉
慣用句対〈場あい・場めん〉
慣用句対〈場めん・幕あい〉
エチケット用語対〈とき・場あい〉
英語語法の重要組語〈time, place, ocasion〉
紫式部語対〈ところがら・おりがら〉
平家物語対〈とき・ところ〉
理科用語対〈時間・空間〉
● 本日は、お日柄もよく・・・・・