春分の日と日拝み信仰

 『神と仏の間』という本が図書館の新着書棚にあったのを見かけて借り出した。日本古来の宗教観と仏教、修験道、そして教派神道儒教までを民俗の中で通観しているもので、いろいろ参考になった。そうしたらきのう、偶然中沢新一による、當麻寺折口信夫の『死者の書』についてのNHK番組を見かけた。春分の日の歴史的位置づけがちょっと違っている。中沢は春分の日を仏教が持ち込んだ中庸概念と関連付けているが、和歌森太郎の本からは違った筋が見える。
 和歌森の「日拝み信仰」が島根・鳥取の山岳部でまだ残っているという記述は興味深い。春分の日には朝早く東のほうに出向き、太陽のコースに沿うように三々五々あるいて西へ向かうという。
  以前高名な方が日本にも古来は太陽神信仰があったはずだという仮説の下、上古の文献からヤマトタケルの「かがなべて日には十日を」の条をピックアップしていたが、いささか説得力にかけると思っていた。だが正確な暦を知る前に、たぶん猿だって日足が伸びていく時期を感じているだろうと思う。だとすれば象徴表現が可能になった段階で「春到来」という概念をもち、それと太陽の運行とを定性的に関連付ける行為はかなり早くからあったはずである。
  そうであれば、少なくとも定住と焼畑が始まればそういう観念が共同体によって確認されるのに時間はかからなかっただろう。それが、「春分」という暦の概念と結び付けられたわが国における最初の地域が〈鳥取・島根〉であったとしたら、その後に起こった陰陽五行や仏教の習俗も受け入れながらも古来の習俗を今にいたるまで伝えてきたのは当然といえば当然である。
  本書が上梓されたのは1975年とある、現在でも「日拝みピクニック」は行われているのだろうか。今、その民俗を関東地方で復活するとすれば、房総の野島崎に前泊して、大島で昼食、伊豆の石廊崎で日没を拝んでから帰宅というようなコースがありえるが・・・・・・・・・・。どこかの旅行会社が企画してくれたら是非参加してみたいものだ。


■〈さおり・さのぼり〉
  田の神を〈サンバイ〉という地方があるが、多くは田植えに先立って田の神を招く行事を〈さおり〉という。秋にお送りする行事は〈さのぼり〉。能における「三番ソウ」は、祝言における「千歳」「翁」に次ぐ三番目の舞となっているが、実は田の神さま、すなわちサンバイさま降臨の舞である。(p50)