構文論と統語論

  amazonへ行ってガチャガチャやっていたらキーワードとして以下の文字列が出てきた。
キーワード:文法論:形態論,構文論[統語論]
   びっくりしたし、今まで日本語文法の本を読むたびにわからなくなった原因がやっと得心できた。なんと、構文論と統語論は同じだというのである。だが英語では明らかに用語が違っている。
grammar (粒々にするコト);文法
sentence;量刑文⇔verdict;真偽文
phrase;語句 or 文句・文言
sentence structure構文;subject主部、predicate述部
syntax統語;subject体言、verb用言
  つまり、日本人が日常使用する〈文句〉は〈なにが、どうした〉というverdict文の基礎なのだから統語論で論じるべきで、構文論が分析するのは量刑文に代表されるsentenceだということである。当然構文はすべて、機能としてはcopulaであり、そこは何でもありの世界である。だからよく文法書で取り上げられている以下の文例は話し手が主部と述部を関連づけた、ということである。そこでは述部の中のverbはそれほど重要ではない。
直示構文・文例
   ・殺人犯は死刑。
   ・僕はうなぎ。
   ・女の人は髪の長さが長い。
   ・私は飴が要る。
   ・象は長く走る。
   ・象は速く走れる。
   ・象は鼻が長い。
   なお、上記の文はすべて直示文に変換できるし日常生活では直示文とし使われるのがほとんどのはずである。ただし、最後の文例だけが直示文としては使われないし、文法書で取り上げられている場合は客観構文として扱われている場合がほとんどだ。そこに日本語文法が素人にはどんどんわからなくなっていく一つの大きな原因がある。
    よく日本語は英語と違うから主語は要らないというような議論をみかけるが、日本語と英語が違うのは当然だが、それでは共通する部分は何なのかを明確にしないと、独りよがりの鎖国文化に陥ってしまう。私の考えでは話を始めるときに発するcueのルールである発話法と日常もっともよく使われる直示法はどの言語もかなり共通性を持っているはずである。それと最後に発達した客観構文も裁判で活躍するためには万国共通であるし、というより共通の言語土壌を作り出してきた歴史的資産と見ていく姿勢が必要だと思う。
    日本語と英語が違うのは統語法の部分である。それは統語法が慣習に根ざした異なる語彙体系の直示文をを構文という万民に共通な形式に変換する部分だからである。だから構文レベルでは日本語も英語もそう違わないはずだ。違うのは代名詞を使ってまで主部や主語を明示するか、それとも文脈上わかるなら省略をするかであろう。つまり主語の有無ではなく代名詞と省略の違いである。典型例を以下にしめすが、上記の直示構文・文例も会話の受け答えでは主部は省略されるのが一般的であることがよくわかるはずである。
省略文・文例
     ・田中さん、(田中さんは)今晩残業しますか。  はい、(私、田中は残業を)しますよ。
     ・(乗っている汽車が)国境の長いトンネルをぬけると、(そこは)雪国だった。
   日本語話者ならば( )内に入る語は一意にきまる。だからこそノーベル賞作家も省略をしたのである。一意に決まらなければ違う表現を考えたであろう。
    問題は、わが国における構文法は漢文を手本として作り上げられてきているので、明治期の言文一致運動の中で十分な配慮が与えられなかった可能性が大きいことである。それが日本語の混乱を招いているのなら、意識的に平成の言文一致運動を組織しなければならないはずだ。日本語の中核概念である〈モノ・コト〉を正しく継承していけているのかという観点からの反省が必要ではないだろうか。
    主語ではなく主題だ、という論陣を最初に張ったという孤高の在野学者、三上章が実は題説文概念の提唱者・山田孝雄と血のつながりのある甥であることを知ったのは、2003年のくろしお出版社のフェスタにおいてであった。この点は日本語研究史を考えるとき十分に考慮すべきである。柳父章の『近代日本語の思想』によれば、三上は日本語の「〜は」が実は「〜についていえば」の省略形である「〜ついては」と同等と分析した上で「主題」というtermを採用したのである。だが「〜は」は、漢文読み下し文の世界では「〜では」「〜には」「〜とは」、そして論理学においてもっとも重要な「〜というものは」の省略形としても機能しているのである。さらに半ば文頭接続詞化している「ということは」「それは〜」も忘れることはできない。それらを主題というtermによって、「〜については」の単一世界に還元したことについて、とりわけ後世の研究者の功罪は厳密に吟味されなければならないと思う。
    もう一つ大事なのは英語においても直示法はgrammarの片隅、例外に追いやられている現実があるので、今すぐ直示法の日英比較をするのは困難だろうということである。だとすれば日本人は日本語の直示法を徹底的に分析し、その構造を外国人にもわかるように描く作業からはじめたらいいと思う。
    その時に覚えておかなければならないのは言語の発達・複雑化は階級社会をとおして行われてきたことである。そこに伝達の二つの形式、支配者の用いたpush伝達と、民衆が用いてきたpull伝達が存在している。push伝達とは明確な意思の元に多くの民衆にむけて行われる発話である。一方pull伝達は神への祈りをルーツにもつ注意喚起のための伝達である。だから例えば日本語の命令文句は体言止と已然形に分裂しているが前者がofficialであり、支配者の命令形で、後者は民衆に伝わる形である。なぜ已然形の命令がpushではなくpullかといえば、以前にも書いたがテレビの中の競走馬にも向けられる形式だからである。「ハシレ!はしれ!(勝ってほしい。神さまお願いします)」という意味が根底にある形式なのである。それが近世では強盗とおまわりさんと男性教師や職工の専用語になったのは熟慮の文句ではなく、己の権威を頼んだ「いい気な祈り」が根底にあるからである。 
    とにかく、文の類別の第一にくるのは、とりわけ識字以前の人々や社会では〈push伝達・pull伝達〉であって、それが陰に陽に統語と構文に複雑な影響を与えているとみていかないと大事な点を見失ってしまう。あえて両者を関係付けるとすればpush伝達が構文に関連付けられるのであって、逆ではないが、完全に重なるものではない。

     最後に、私の考える大きな枠組みの文法の要素をメモしておく。①から④に向かって新しい語法と考える。実際には4つがゆるい階層 (中右実氏の言葉使いから)をなしているはずである。中でつかっている<用体言>の意味はこれまで再三繰り返しているが日本語の名辞は現象名辞から出発しているので、現在の国文法が考える体言とは完全には重ならないからである。現在の<体言>には名辞と存在語と現象語が含まれているが、もともとの現象語は現在の日本語では<連体形+体言>でしか表現できない。例えば<ピラ>。以前にも書いたが、沖縄語やアイヌ語の中の音韻<ピラ>は日本語では「平ら」「崖」の意味として機能しているが、これは<急に明るくなるコト、モノ、トコロ>と翻訳しないと一見正反対の〈崖・平ら〉を同一音韻から導くことができにない。逆に現象語であることがわかれば体言「原爆」を意味するonomatopoeia<ピカ・ドン>まで導けるのである。つまり体言「原爆」も、<1回だけ急に明るくなってからドンと爆発した爆弾>という〈用言の連体形+体言>と考えることができる。それで<用体言>と名づけた。
    下記の一覧で重要なのは②直示法の中のpush伝達における〈は・が〉の使い分けである。これは、〈旧情報・新情報〉という仕切りに反しないが、もっと積極的に〈判別・例示〉機能を担っていることが理解できるだろう。そして最終的に〈適否〉の判断を下すのは民衆ではなく支配者に連なる専門家や官僚である。そのことは現在の世界でも変わらない。それがいいとか悪いとかではなく現在の事実としてわれわれはきちんと認識する必要があるのである。それが見えなくなるような文法理論では国民の言語能力の向上に資することはできない。
①発話法
    認 知;おー! あー! えー! うー!
    grin  ;いー!
②直示法;here,there,it,that
   push伝達(支配者の言葉遣い)
    命 令;体言止  
    例 示;これが 象というモノ。 (コレは、絵でも鳴き声の真似でも実物でもよい)
    判 別;こイツは 象というモノ。
   pull伝達  (民衆の言葉遣い)
    威 嚇;いーだ。
    命 令;已然
    請 負;onomatopoeia(んだんだ)
    様 相; 表情・姿容
③統語法;subject,verb
   ・限定統語;(は・が)⇔(の・は)
     直示辞+名+体言    僕は名が大野。  僕は名がススム。
     直示辞+用体言+用言   僕は奪うモノが大野。  僕は食(べるコト)がススム。 
     直示辞+用体言+用言    僕は住むところが大野。  僕は道が(を)ススム。
  ・ 指示統語
     直示辞+名       これが、アメ。        こイツは、アメ。 
     直示辞+体言+用言   ここにはアメがアる。
     直示辞+体言+用言  ここではアメがイる。
   ・描写統語
      時制辞+用体言   もうアメ? まだアメ? もうすぐアメ。 まだまだアメ。 いまだにアメ。
      用体言+様相辞   アメみたい。 アメらしい。
   ・受け答え統語(民衆のことば使い)
     認 識;お!〜だ。 あ!〜だ。
     威 嚇;〈こら!〉+〈已然形〉。
     請 負;はい。はいはい。えー!ええ。どうもどうも。
     奏 上;すみません。おねがいします。いいですか。

④構文法;subject、predicate
      ・ で題説文:(この)象では鼻が長いコトがある。
      ・ に題説文;(この)象には長いモノがある。
       ・ と題説文;(そもそも)象とは鼻が長いモノのコトである。


      ・モノモノ対応文; 象トイウモノは鼻が長いモノである。
       ・必要 条件 文; 鼻が長いトイウコトは象トイウモノであることの条件である。
      ・ 対    遇文; 鼻が長いトイウコトがなければ象トイウモノではない。


     ・慣例構文;象は鼻が長いモノである。
     ・非   文;鼻が長いモノは象である。

参考文例
     ・push伝達; 象ニツイテイエバ鼻ハ長い。(I've decided that.)
     ・pull 伝達; 象は鼻が長い・んだ。 ( I'm telling you that.)


     ・push伝達; 出て行くこと。(I've decided that you should BE OUT.)
     ・pull 伝達; 出てけ!( I'm telling you that you GET OUT.)

以上