老人の妄言;三つ

1) がんばれ、日本
   3月27日のテレビで、高校野球の開会式の場面が放映されて「頑張れ、日本」という文字だか声が聞こえてきたので気になって、公式ホームページに行ってみたら、さすがに「がんばれ」の文字は見当たらなかった。さらに探したら観客席の写真の中に「頑張って・頑張ろう」のフレーズがみえた。まずは一安心である。
   語義の中核にあるのが自他認識であることは自明であるが、その延長としての帰属集団の内外認識もまた、基本語義であることはあまり注意されていない。日本語のみだれについてうるさい人々が敬語にばかりとらわれているのは知の衰退・退嬰の証左なのであるから、高校野球の公式ホームページにこの誤用があったとすれば一大事である。まずは安心した。



2)立ち上がれ、日本
    当然、これは集団の外部からの呼びかけということになるから、呼びかけている人たちが日本人でないならば文法的に正しいわけである。



3)私たちは「過ちはくり返しません」と広島長崎の人々に誓ったのではなかったか。(週刊現代4月2日号)
     だが、同時に戦後の経済安定と国力の復興をも誓っている。

問題はそれが、復興から際限のない消費・乱費へと変質したことだ。

     原発推進派の歓心をかってメディアにたびたび露出してきた経済評論家は、早速、計画停電にブーイングを発して、節約指令は軍部の統制と同じで自由と民主主義を壊すものだと論陣を張っていた。それを心理的にあおり、支えてきたのが対前年主義だ。これで天下り官僚から社内官僚までが一蓮托生となって実質ではなく、名目だけで論功褒章を行うようになった。

今立ち返るべきは基本である。まず国力とはやはり民力なのだ。

    民の量と数。その【実質・質実】。それは1991年にMAXを記録して以来下降し続けている。厚生省がまとめる、国民栄養摂取量統計というのがあって、ここが、実際に国民の口に入った食物量を計算している。それがMAXになったのが91年。この後の食物消費量の増加は廃棄量の増加にすぎない。
    移民を入れない以上、そして国民が子供をほしいと思わない以上、この数字とこの年を基準にして、国の実質をどのように高めるのか、という一点に集中して策を練り上げていかなければならない。



逆語序対〈量と数・数量〉〈質と実・実質〉〈目と名・名目〉〈名実・実名〉
逆語序対〈量と質・質量〉〈料と質・質料〉
擬似逆語序対〈質と量・良質〉