数字の語呂合わせ(その1)

1、鎌倉幕府の成立年について

団塊の世代は「1192年 いいくに」とならった。だが最近はこれが否定されて「1185年」となったらしい。現在の学習指導要領では両論併記で進められているらしいが、学者先生の言い分をきいているとどっちでもいいように感じるが、実は重大な問題をはらんでいる。
    なぜならば、源頼朝の事跡に関する人々の深層イメージの変更をもたらすからだ。前者であれば、頼朝は「あたらしくいい国」を起こしたことになるが、新しい年号では頼朝は単に「行政組織を改変」しただけということになり、大和朝廷の歴史は微動だにしなかったことになる。
    結局明治維新というのは名目は王政復古だったもの、担い手は薩長の氏族だったから、徳川家には一応の示しは見せても頼朝政権の評価は揺るがなかった。ところが敗戦により士族が階層としてのアイデンティティを失うとともに21世紀になって、頼朝の評価を貶める動きが科学歴史主義の衣をまとって社会の表層に躍り出てきたというのは大変興味深い。

2、『伊勢物語』九段の富士山の大きさについて

   後半に「その山は、ここにたとえば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらむほどして、なりは塩尻のようになむありける」とある。この解釈について二つあがっている。
A) 「重ねあがたらむ」を「積み上げ」と解釈して比叡山(848m)を20倍して16960mを得て、富士山の実際の高さ3776mと対照して「極端な誇張」と評価する。尊敬する小松英雄氏もこの解釈である。『伊勢物語の表現を掘り起こすp200;2010』


B) ウェブでみかけたのは「積み上げた」のは高さではなく立面図の面積だとするもの。http://www.geocities.jp/yasuko8787/32.htm
   要するに高さの比の二乗を求めて20を得る。
     3776/848=4.4
      4.4*4.4=19.4≒20
  これを逆からいうと√20≒4.4


C) ところが上の式をよく見ていくと以下のように変換できる。
      √20=2√5
      √5=2.23(フジサン)
     中学校で習っときには「ふじさんろく おーむなく」と習ったので、直ぐには関連付けることが出来なかったが、考えてみればこの重要な数字を富士山に関連付けて語呂合わせで学習させていたとしたら、すごい工夫だったことになる。さらにそのために富士山と関連付けるべき適度な高さの峯を選んで「比叡山」と名付けたのだとしたら、その教育的配慮には脱帽せざるをえない。
    だとすれば極端な誇張ならば「嘘八百」に任せおけばいいわけで、ここで「二十」と明記されたことの意味はきちんと押さえるべきだとなる。
   そう思って以下の語呂合わせもみて見ると興味深い。なんといっても覚えやすいではないか。
     √2=1.41(ひとよい)
     √3=1.73(ひとなみ)

   国語学の先生方は、これからも解釈A)に固執するだろうが、真名序では在原中将と出てくるわけだから、この九段は軍人の話として訓詁してほしい。高級将校ならば、その基本任務は兵站と土木工事の強度計算なのだから、平安時代といえども、これ位の算数は身につけていて欲しいものだ。

3、鳥取県の大山の標高は1729メートル

  全く蛍光灯の自分に嫌気がさすが、気になって調べてみたら、上記のとおりである。
     3776/1729=2.18≒2.2≒√5
      
   つまり伊勢物語の文型を当てはめれば以下のようになる。

その山(富士山)は、【古質の語にて】たとえば、伯耆大山、またの名は角盤山を五つばかり重ねあげたらむほどして、なりは同じように塩尻のようになむありける
4、全国の主な峰
1倍 3776M 富士山
1.5倍 1999M 四国剣山
4倍 1888M 富士吉田口登山道終点
5倍 1729M 伯耆大山
1695M 大台ケ原
7.5倍 1377M 息吹山
9倍 1259M
16倍 944M 開聞岳
19倍 877M 筑波山
858M 青ガ峰
20倍 848M 比叡山


     なお、三輪山の標高は467mだから比叡山848mに対し以下のようになる。 
        848/467=1.815
         1.815*1.815=3.3






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