未通女と處女

拙著『狂歌絵師 北斎とよむ古事記万葉集』で「處女・未通娘」の語義解を行っている(p174、180)が 私が若かったころの女性の初潮とひきつづく月経について風俗に変化が起きているようでいて起きていないようでもあるので、『生理用品の社会史;田中ひかる;2013;ミネルヴァ書房』からメモをとっておく。

文末の年表も過不足なく網羅されていて良書だが、タンパックス・タンポンの消長については踏み込んでもらいたかった。年表からひろうと。
・大正時代;アメリカで普及していたタンポンの輸入・国産化開始
・1930;ロール式脱脂綿「白ぼたん」発売
・戦時下
・1947年;労働法に産前産後休暇・生理休暇(申告制)が明記される
・1948年;厚生省、タンポンを医療用具(現在は医療機器)に指定
・1951年;脱脂綿の配給制が解除になって丁字帯と脱脂綿による処置が主流になる
・1961年;アンネナプキン発売(初潮を肯定的に受け止める「アンネの日記」から採用p118)
・1964年;エーザイがスティック式タンポンを発売
・1968年;中央物産が「タンパックス・タンポン」の輸入販売を開始
・1978年;花王から高吸性ポリマーを用いた薄型ナプキンが発売される
・70年代後半;アメリカでタンポン使用者がTSSを発症
    p151;原因は特定され、特定の黄色ブドウ状球菌とタンポンの吸水率の相乗因とされ解決すみ 
・1980年;アンネ社、ライオンに吸収合併
   ・1990年代;欧米で月経前症候群PMS)の報告が増える(p65)
・2013年;ユニ・チャームがタンポンを「ソフィ」ブランドに統一

要はアメリカでは第二次大戦以前から普及していた挿入型「タンポン」が日本市場では事実上排除されてきたということなのである。
今回、年表を眺めていて、2013年にようやくユニ・チャームがブランドを統一したことを知って唖然とした。
現在でも店頭の目立つところ、販促のためのディスカウント棚で見かけることはない。
本文をさがしていくと以下の記述がみつかる。

1、手淫防止

p23〜25;1916年から1979年にかけて「タンポンは手淫と結びつきやすい」という医師の肩書を持つ人の文を例示
p41;東京女子大創設者吉岡弥生1871年〜1959年);女の神聖なところに男以外の物を入れるとは何言ぞ

2、もちろん、それとは別に「処女膜信仰」がある

これは江戸時代の遊郭で少女を高く売るために開発されたセールス法で、小説では2回でも3回でも通用するとも言われているが、これが一般の女子にある種の刷り込みを行っていったのであろう。なんせ、江戸時代は女性が嬉々として宮中女御の真似をして鉄漿(おはぐろ)をして、清音妄想で「あさくさはし」などと姦しくしていたそうだから。
このためであろうが、アンネがタンポン市場に参入するにあたっては、それまでのほんわかアプローチにかえて科学的に明晰なコピーを採用せざるをえなかったらしい。P148には「処女膜はマクではなくヒダ」という文字がみえる。

3、現在の市場

著者は現在の大手メーカーの「多い日の夜用」だとか「多い日の外出用」だとかの市場細分化の販売宣伝戦略を肯定しているが、私は女性を愚弄しているとおもう。敵を攻略するには隘路で迎え撃つのが上策である以上タンポンにまさる武器はないはず。もっと簡単に「多い日はタンポン」「少ない日はナプキン」で十分ではないだろうか。女性も研究開発要員ももっと本当に価値のある女性用商品を目指してほしい。

4、辞書世界

さらにこういう点で国語辞典も大変に遅れている。日本国語辞典で「タンポン」をみると医療用と音楽用の2項目しか出ていない。だが、ランダムハウス英和では「tampon」では3項目をたてて、2番目に生理用タンポンを明記している。ジーニアスでは「生理用」の項目一つである。

5、血穢の発生

p69;成清弘和;在地の民俗世界に「女性の穢れ」の観念が現れるのは12世紀前後であろう
    死穢;大化の改新(645年)
    産穢;弘仁式(820年)
    血穢;貞観式延喜式(871、927年)
p70;神道の「服忌令」や仏教の「血盆経」によって一般社会に月経禁忌が広まる

6、古事記における「月たちぬ」

有名なヤマトタケルとミヤズヒメの故事は月経がはじまっていたけど、二人は交わったのだから、月穢はなかったことになる。(p66)
一方で、これは民草に女性の生理周期が月齢と関連することをも教えていることになり、一種の理科教育という意味を持っていた。
これに近代の避妊法の土台である「基礎体温」の考え方をふまえて解釈するならば、月経期は一般的には受胎不可能なのであるから、世継ぎを目的とする交合には不向きということになる。当時の人々にもそのような経験則が知られてなかったと結論するのは難しいだろし、近世になればそのような経験則は一定の知識層には知られていたと考える事もそれほど突飛とはいえない。