音幻〈八幡〉

midoka12007-02-25

   2月22日の朝日新聞岡田荘司氏のまとめた新しい神社分類結果が出ていた。後ほど紹介するが興味深い結果だ。だが記事全体は朝日新聞特有の客観主義的記述の装いのもと罵詈雑言を撒き散らす体になっている。その装置が別の研究者による講評という文体である。別の研究者の言を利用して朝日新聞は以下の罵詈雑言を流布している。
①伊勢は国家総鎮守だという考えは江戸時代の国学者たちがつくったフィクションである。
②神社・神道研究は戦前の国家神道への反動からイデオロギー色がつよく、基礎資料すら整っていなかった。これは実証研究の出発点となる
    ①についていえば、去年吉野裕子氏の著作を読むまで伊勢神宮天皇が参拝するようになったのは明治維新からであることを知らなかった。しかし伊勢信仰が名古屋の熱田神宮と深くかかわっていることを学ぶことで、そのことの合理性が理解できた。そもそも国家も宗教もフィクションなのだから、岡田氏の分析だってフィクションに過ぎないことは自然科学を学んだものならば常識なのである。それなのにここで江戸の国学者だけを名指す必然性はない。むしろその名指しによって何を主張しているのかといえば正書法を、〈契沖かな〉から〈定家かな〉に戻しつつある国語審議会のイデオロギーの片棒を担いでいるのである。
    ②は①の補足となっているのであるが、明治維新から昭和までの神道研究を一派一からげに否定して、なにか新しい別の研究がありえるという幻想を振りまく記述だ。だが岡田氏の仕事は神社本庁がすでに蓄積しているデータを下に新しい解析手法を工夫したのであるから、基礎資料なるモノが無から生じたわけではない。そもそも実証研究というよりは音韻象徴論に一歩踏み込む構造主義研究の誕生と見るべきである。当然それは折口信夫らの研究の発展的継承になるはずだ。折口氏ならば簡単に〈契沖か定家か〉などいう対立的二元論に組することはなかっただろう。

いよいよ本論。

   中核になるのは別掲の表2。地方別の神社の種類でトップに来るのが〈八幡信仰〉。二位は東海以東では〈伊勢信仰〉、中国以西は〈天神信仰〉、そして近畿は〈春日信仰〉となっている。この結果は今まで多くの日本人の中にある圧倒的な〈稲荷信仰〉イメージを三位以下におとし、律令体制の基礎にある宇佐八幡宮をトップの座に踊りださせることに成功している。その方法は従来八幡宮に数えられていなかった〈若宮〉などを繰り込み、同様の操作を〈天神〉にもおこなうことであった。
   その方法論はともかく、私が興味深かったのは近畿のトップ3〈八幡、春日、稲荷〉である。これは人物に比定すれば〈神武、藤氏、秀吉〉となる。階層に比定するならば〈天皇、貴族、平民〉である。これを徳川時代の〈士農工商〉に翻案すれば〈武士・天道・庶民〉である。
   ここで〈春日=天道〉という措定について補足する。〈春日神社〉は縁起に拠れば藤氏の氏社で、鹿島神宮も藤氏によって一宮とされ、エミシ攻略の重要拠点として位置づけられている。とすれば歴史的経緯をはしょっていえば要するにアマ信仰の系列に属する。だから〈春日→ハルヒハジメ日→東→鹿島→日の出→お日様=おてんとうさま=天道〉という措定は学者でななければ自然に起きてしまう連想なのである。
   ここまで頭が柔軟になれば〈天神→アマ神→アマテラス→伊勢→春日 〉となる。記事では天神信仰は道真が大宰府までの道中に立ち寄った由縁に基づくとあるが、それは表向きの理由で大宰府宇佐神宮と切り離すことで〈日の道〉を鹿島から最西の大宰府までと確定し、宇佐神宮を地祇信仰に限定したのである。
  何のことはない、二位は<伊勢=春日=天神>となり総数は八幡の7917社をを抜いて9450社となり、断トツ一位である。そうであればもはや〈八幡→地祇〉と解釈するしかないであろう。平氏も源氏も徳川も自らを地祇の継承者足らんとしたゆえの八幡信仰なのである。もちろん古代においては庶民などいう階級は存在しなかったのだから、天神地祇の素朴二元論が記紀の前提である。だが識字階級の成立は第三の因子の確立を要請した。記紀から幕藩体制までの歴史とはその思想史的苦闘の歴史なのだ。権力交代の戦乱と論功だけの学校で習うような出来事史観に還元されていいはずがない。

それではイザ、音幻へ。

   漢字〈八幡〉は通常は〈はちまん・やはた〉の二通りの読み方で読まれる。だがなぜ〈はちまん〉なのだろう。〈幡・まん〉をじっと見ていると〈番ばん〉とか〈帆はん〉が立ち上ってくる。さらに電子広辞苑をがちゃがちゃいじっていると学校では〈やまたいこく〉と習ったはずの漢字の読みが〈やばたいこく〉とも出てくる。以前にも書いたがマ行とバ行は歴史上、〈び美み〉〈ぶ武む〉のように意図的ともかんぐりたくなるほど交替している。ここで〈まん・ばん〉の交替を認めていく方が自然であろう。つまり〈まん幡ばん〉や〈まん万ばん〉を単なる訛りとか音韻交替とかの偶然の現象と捕らえるのではなく、語法の一つとして公認するということである。
   とすれば一つの可能性として、〈はちまん八幡やばん〉となり、中国側から倭寇と恐れられた瀬戸内海は八幡浜に本拠を置いていたといわれる八幡船が〈やばん〉と実際には呼ばれていたと考えることはこじつけではないだろう。とすれば現在は〈野蛮〉という卑語に落ちてしまったが本来は〈偉・異〉の両義語〈八幡・やばん・野蛮〉であった可能性が高くなる。この場合先に考えた〈八幡→地祇〉は、〈水神=八幡=ヤーパンjapan〉となる。
   一方で天皇家の遥拝順の二番目にくる天神地祇の地祇が水神に還元されては困るという考えも、これまた当然である。そこで出てくるのが〈八幡はちまん八万〉である。当然〈八万=八百万〉となり〈八幡=地祇神全体〉となる。
   ここまで考えてくるともう一つの正字〈やはた〉の音韻もきわめて重要になる。これは〈やばた〉を介して〈やまだ〉と〈やまた〉の音韻を復元することができるのである。日本史を学校で習ったものにはここからすぐに〈山田の案山子〉〈八股のヲロチ〉が連想される。吉野裕子氏に拠ればどちらも蛇のメタファである。それは〈はちまん〉が海神であるのに対し〈やはた〉は川神であることを示唆する。とすれば事実上、これは大山祇神に置き換えることができる。なぜならば川のない山はないし、山を恐れる最大の理由は河川の氾濫とがけ崩れで地震以外には大雨が原因だからだ。
  一方で農耕社会になれば雨は必需でもある。そういう雨の両義性が複雑な祭祀儀礼を生み出していったのである。
  ここまで書いてきて、ようやく昨年古事記を読み終えたときの疑問、「なぜ富士山も阿蘇山も出てこないのか」の答えの一つが見えてくる。やはり大山祇神の性格の転換こそが古事記最大のメッセージなのである。火山の神であった大山祇神を水源林たる山の神に転換したのである。だからこそヤマトタケルはイブキ山の吹雪でなくなるのである。海神がアラシにおいて顕現するなら、山神はフブキにおいて顕現するのである。そして山神はyアマ神として再生し、地祇は川神に、そして海神こそは天皇家の祖先である神武に事寄せられたのである。だからこそ神ならなぬ権門の総大将は神武にあやかり八幡宮を頼み、アマテラスを現し世のミカドに事寄せるのである。
     そして川神は征服されるべきものとしてヤマタノオロチのメタファを与えられたのである。

まとめ

    原初の〈荒ぶる火山神と豊穣の地母神〉が植物栽培法の発達と陰陽(雌雄)概念の浸透により〈荒ぶる水神・雷神と生産の基礎たる森神・日神〉に数をふやした。その後に、〈あま神・やま神・しま神〉の三元系と〈海神と川神〉と〈天神と山神〉の四元系に分裂したのであろう。確かなことは〈雷神・水神・森神〉の記憶がイワクラ、ホコラ、トリイとなって今に伝えられていることである。以前にも書いたがヤシロはずっと後世になって国家鎮護の祭祀場として神道に移入された建物であろう。その中にだけ鏡は日神のメタファとして秘蔵されることとなる。倭国から大和への国号変更とともに〈japanヤーパン・野蛮・やばん・やはた八幡・はちまん・八万・八百万の神〉を含意する〈八幡〉が邪馬台国の神として西域豪族に広められていった。しかし戦国の統一者は東国の出自であるから水神の色の濃いい(ママ)八幡を敬しつつも遠ざけて森神系統の稲荷信仰を推奨していった。だがいずれにせよ地祇神であるから、八幡とあわせて地祇信仰をとしてくくることができ、統治者の神である〈てんじん・天神・アマ神〉を数の上で凌駕するのは理であろう。
    もちろん空海が民衆の中に入っていったときのイメージは海神・地祇のpositionにおいてであったと思われる。ただし空海にとっての祖国は野蛮なる八幡の大和ではなく、大日のおわす日本であった。鳥浜貝塚にも出土する倭国の色〈丹・赤〉をシンボルとする西方浄土を拝む念仏の満ち溢れる国ニッポンであったはずだ。出雲によって隠されて下がっていく太陽を抱くクニであったはずだ。それは〈和〉のシンボルであるべき〈輪なす丹〉であったはずだ。だがそれは〈旭日の光〉と対でなければ存在できない。日が昇らなければ、どうして日va沈むことができようか。当然光背を背負った日の神もおわすべきなのである。だが旭日ならば色は白色しかありえない。ましてや真っ赤な旭日など象徴論からはありえない。当然、熊野から入った神武の受けた日の光背も赤色ではありえない。もしも赤だとしたら、それは血しぶきチラス瀕死の王の末期のイメージになってしまう。大日本帝国の軍旗のように敵の血しぶきではなく自らの血しぶきの象徴になってしまう。


■<ニッポン>と
    以前以下のような逆語序対を導いたことがあったのを思い出した。。

[n・amas] [ame・n]
[n・am] [amun]
[南無] [阿吽]

  その後見たDVD 『綴り字のシーズン』 では同じ操作を〈逆語序〉ではなく〈文字の送り法〉、と呼んでいた。そうだとすれば、さらにイスラム古文字に母音が表記されなかったことと考え合わせて以下の対語の階層を導くことができる。直接〈ニッポン〉を導くところまで行かなかったが頭のすみには入れておく。(07/03/09)

[japan] [njapa]
[jpn] [njp]
[ヤバン] [ニャップ]