「古今和歌集・仮名序」を読み解く;逆は反・仮・返

     最初に「逆語序」という用語を知ったのは'阪倉篤義氏の著書の中で折口信夫がふれているという紹介からである。そこにあがっていた例は「たてごと・ことたて」であって、あまり重要とはおもわれなかったが、気をつけて日本語を観察していくと、「体用・用体」「理論・論理」「物実・実物」などに延長することができ、認知科学の重要な概念表記に結びつくことがわかった。さらに「呪祝」の変形である「呪祈」から逆語序の変形「のろy・yのろ」も導けることがわかり、さらに構文上もいくつか重要な成句が導けることもわかった。だが、一方で「折口信夫」関連書籍では追いかけることができなかった。
   このブログの初出は以下。
「祈りと呪い;http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20060601

   ところが今回twitterで見かけて、図書館で取り寄せてみたら、白川静の論文に「訓詁における思惟の形式について」がみつかった。ここでは宋代から「五経字義相反」の例として【治・乱】【順・擾】【定・荒】【香・臭】【遂・潰】をあげてある。これが定着すれば、当然一字が「相反義」を持つことになって、「訓詁学」の権威はおびやかされてしまう。その上で、この「反訓」は、「根底に民族特有の思惟形式が働く」ということだとして看過できない問題として取り上げている。さらにはこれを「古代支那人特有の一種の弁証法」とも規定している。
   だが、結局はこの「反訓」は容易には認められないと白川氏は結論する。そして「反訓」を現象と捉え、いくつかの側面の分析に入る。細かくは立ち入らないが、ここで【転義;正の自己否定のような派生転移転義】【対義;円周を半周したかのような引申比義】の二つに分けている。
    その上で「反訓」の生じる原因を三つ挙げている。【仮借;本字なく声に依る託事】【文法;格の変化による態の変化】【善悪好醜のような大名による語義で、意味する領域の不安定なもの】。その上で氏は漢文から例示を持ってきているが、戦後生まれのワタクシなどには退屈なだけ。これは和語から例文をもってきたほうがわかる。
    そのためにはまず、「転義」「対義」「その他」とよみ返す。そうすると以下のような関連づけが可能になる。
【式1】
転義→仮借
対義→転注
その他→基音・順音・逆音・縮音
     いずれにせよ「明晰化」という対抗策が求められてきたのが漢文および漢文受容の歴史なのだから、漢文の訓詁では【単語】の単漢字だけでなく、慣用されてきた四字語が【一語】として重要である。それなのに、二字語で埋め尽くした現代日本語で精緻な議論を積み上げることは難しいのである。ここでは、上の式を「六書」に基づいて以下のように変形する。
【式2】
転義→仮借釈義→依声託事
対義→転注注連(縄)→同意相受
その他→視識察意・成物詰詘・名事相成・類比指扌為



1、依声託事
    「六書」が例示しているのは「長・令」だから、「ながーいながーい丈」と「なーんにもない零ダケ」は転義ということ。確かに音韻「な」は転義する。もちろん「丈・だけ」も。さらには、「わけない・わけなし」も同様に「分け目が無い・分け目を為す」の転義をみちびきやすい。


2、同意相受
    これは漢字の部首の使い方の一つで「六書」が例示しているのは「考・老」。簡単な理解の仕方は漢字部首をそろえた「考老孝者」をながめているとわかってくる。答えは一つではない。勉強すればいろいろの「連想associate」が可能になる。これを連合と訳してしまったのは失敗。大脳科学での「連合野」は具物を指しているので「連合」でもぎりぎり使えるが、修辞学がこれに習ったのは「コト・モノ」の弁別の素養が皆無だったということ。「合従連衡体・連理托想態」を弁別する訓練が必要。

初級;老人は考え深い。だから若者は老人孝行にはげめ。
中級;孝行をといた孔子と無為としか周囲にはみえなくても考え抜くことを説いた老子の両方を学ぶ者は、あらゆる事において巧者になる。
上級;「丂・ヒ」は「日・月」同様の「詰詘」を体しているから、義は「刃物の動き・刃物」。准えて「子・日」も「詰詘」であるとするならば、「子は見えないが、見えれば日、すなわち個物である」。


補足;氏の論文の最後の方では東洋的なる陰陽五行は、キリスト教ゾロアスター教のような「対立・止揚」の弁証法的世界とは峻別されねばならないとの結論に至っているが、それは前半部での「引申比義」と「内部対立・弁証法」の違いとなるらしいが、今後の宿題としたい。




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