千字文と論語

「祝辞と祝詞 http://d.hatena.ne.jp/midoka1/20171004」の続き


古事記の「応神天皇の時に百済から論語千字文がもたらされた」という記述についても
論語など」と延伸して解釈するべきではないかと考えた。とすればこの段階で
論語・兵法が体系的にもたらされた」と考えることができる。
兵法と論語を比べれば、兵法のほうが実利が高いから、もっと古来から伝搬していたと考えるが、書物として正式に、もっといえば教材として移入されたのはこの時期なのではないか。
そうすると「論語兵法」から三つの二字熟語「論法」「語法」「兵法」を導くことができる。
千字文」の方は読み方も習うのだから単純に四次熟語「字文文辞」へと延伸しておけば読誦や斉唱法の導入が図られた時期と考えることができる。
11代の垂仁天皇と21代の雄略天皇の間の15代の応神天皇の事績として明記した古事記歴史認識を評価しておきたい。