左手に蛇、右手にはオサとサオ

       『キリストと大国主』という本の題名からはトンデモ本を連想するが、中西進氏の著作である。1991年から産経新聞に連載された内容をまとめたもので、あまりに「日本特殊論」が繁茂しているので「普遍」の視点から書いたとある。その中にエトルリアから発掘された青銅製の男女像の写真があった。ジャコメッティも好んで用いた形式である「夕日の影」と呼ばれる細長い塑像である。女像は左手に蛇をもち、右手に短い棒を持っている。オサであろう。とすれば巫(wu)である。
      一方男の方の右手は指が丸く結ばれて地面に届く杖が持たれていたかのような穴があいている。想像すれば黄金でできたサオ杖を持っていたのであろう。エトルリア最高神のメタファは稲妻だったそうだから稲妻そのものだったかもしれない。とすれば男象は雷神となるし、男巫(覡xi)だったとすれば、先のとがった長いサオ杖と雷は危険の象徴ともなるが、雷を支配する卓越した技術力の象徴ともなる。
      そして、これはエジプトの男女像の配置からくる「男の左目と〈長・オサ〉の象徴である右手の対」と符丁があう。もちろん「イザナギの左目と右目」のメタファとも。さらに、この塑像はかつては女巫が両手に力を持っていたことを示唆する。
    エトルリアは紀元前15世紀には共和国軍を持っていたというからローマ帝国の大先輩である。そしてローマ帝国ではエトルリアの「雷占い」が有名だったようだ。紀元前15世紀といえば中国の殷王朝よりも前であるから、日本にその影響の痕跡があるとすれば中国の歴史もその影響を否定することはできなくなる。
     日本語や日本の歴史を深いところで考えている人々が中国・朝鮮からの影響だけで日本史を構成することができないのは、こういういくつかの点が南の海上からの道を指し示しているからであろう。それはまた宦官が作ってきた中国の文字による歴史だけを真実として、その極限である日本に咲いたアダ花「腹は借り物史観」を受容できない人々の拠り所でもある。その水脈もまた「腹は借り物史観」に劣らず深く静かに脈々と日本のカナ文字の歴史とともに長く長く受け継がれてきている。