〈いい加減〉と〈適当〉

     こういうのを間が悪いとか相性が悪いとか言うのだろうけど、ふだん見ない昼下がりのNHKをみてしまった。そして私の好きでない言葉の薀蓄話を聞かされてしまったのである。
     言葉が多義性を獲得していくのは、当然であるから、一つの言葉には一つの意味しか宿るべきでない、という教条主義ほど嫌いなものはないのだけど、実は、私、なんでもありのポストモダンもダーイ嫌いなのである。
     上記の二つの言葉は正反対の意味を持つように使われていることは事実であるが、二つの意味を峻別する句が死語になっているわけではない。とすれば運用の問題としてきちんと説明して欲しかった。そこには音韻〈はじめ〉が運用上〈はじめて〉〈はじめに〉の違いによって意味が違ってくるのが約束であるように、きちんとした決まりがあるのである。

・いい湯加減=受け手への刺激;多すぎず少なすぎず(enough)
・手加減を加える=行為者の努力量;多すぎず少なすぎず(enough)


・いい加減に止めなさい=見ている人にとっても当事者にとっても十分な時間量(enough)
・いい加減で止めた=当事者の時間量(enough)


・いい加減にはじめなさい=通常、待っている人の方がえらいので、待っている人のイライラの積分
×いい加減ではじめた

    〈適当〉などという語彙は、学校当局によって伝統的規範がゴチャゴチャにされた典型例ではないだろうか。本居宣長が頻用していた〈しかり然しかるべし〉が古臭いというので二字漢字語を【適当】に持ってきたのであろうが、柳父章の指摘するように二字漢字語は日本語を育てないのである。

・適当な答え=心象判断
・適当に答える


・上手な答え方=心象判断
・上手に答える


・見事な答え=心象判断
・見事に答える


・正しい答え=客観基準
・正しく答える


・確かな答え=意味不明
・確かに答える=返事があったことは確か


・しかるべき答え=主体責任による判断
・しかるべく答える