『字幕屋は銀幕の片隅で日本語が変だと叫ぶ』

久しぶりにお腹をかかえて笑った。
上質な知性と笑いが両立するというよい例。
  1936年生まれの字幕の女王の日本語にはいらいらさせられてきたから、1959年生の著者にであって、日本語の未来に明るいものを感じることができるようになった。


  昨夜NHKで流していた、1944年生まれのthe編集者である男性の「日本語は主語がないゆえに寛容ですばらしい」という馬鹿馬鹿しい刷り込みがのどにつかえていたのが、ちょっとすっきりした。

   さらにいうとp93の「勝手にキャラづけ 〜言葉遣いの色」は、関西言語学王国の諸識者に読んでもらいたいものだ。



   字幕の女王も、 the編集者も、  関西言語学王国の諸識者も、自分たちが鎖国日本を追い求めていることに気がついていないことが怖いのである。それは比較対照という方法の限界をわきまえていない、という無知からきている。


  ついでに言うと、本日の放送大学の「心理学入門」では文化心理学の必要性の根拠として以下の主張が流されていた。
  

  〜〜アメリカでは「日本人は数字4に死deathの含意をみるから、月の4日目には心臓病で死ぬ日本人が有意に増加する」というpaperが発表されて、それが地元の新聞に大きく掲載されていた。こういう偏見に対抗するためには文化心理学の研究に着手する必要がある〜〜と。


   放送大学のチャネルをつかって鬱憤を晴らすのではなく、当該新聞社とpaperの発表者に抗議をすればいいだけのことだ。そんなこともできない腰抜けの蒙昧科学者に科研費を垂れ流し続ける必要はない。