「抉りと刻み」 (その初)

   『ときをとく』という1930年代うまれの学者を中心とした座談会の記録があって、その冒頭にでてくる田淵安一のエッセー。副題が「時間記号について発生論的考察」とある。著者は20年代生まれで美学を勉強した後、渡仏した画家。著者のここでの姿勢はあくまで歴史的遺物にみられる時間のシンボルの観察にあるので、私の興味とは重なりにくい。だがいくつかの図版は大変興味深いものであった。

p6  〈狩猟マーク〉ネアンデルタール人と現ホモ・サピエンスとの交代期シャテルペロニアン文化に現れる骨片に刻まれた規則的な線刻こそが、あらゆる具象表現に先立って作られた。

p8 三つの空間語法
①求心的構造 
  鄯 円の中心からの放射線を組み合わせることでルネッサンス期の透視遠近法間にまでつながる記法。
  鄱 円周上の一点が円周上を回転しながら中心と外周間を移動するというのが陰陽の太極図である。螺旋もこれ。
  鄴 同心円およびそれを手の運動に結びつけたときの抉り運動。青銅器に広がった文様。
②街道にならぶ宿場のような線的リズム構造  
③面的拡散ないし樹形構造


p12 歴史の復習
・      BC35000年(ムステリアン期); 抉り孔
・      BC34000年(シャテルベロニアン期); 6mm感覚の7ないし8本の線刻のいくつかの塊。(アルシイ・シュール・キュール洞窟)さらに手だけではなく機械操作を必要とされるような完全な円形孔も。
・BC1600−10000年(マグダレニアン期); 多数の狩猟マークが見つかり中には30本の線刻も(フランス、チェコソ連
・BC33000年−26000年(オウリニャシアン文化);具象美術の出現。(p14第三図 ドルドーニュ地方のラ・フェラシイ出土)象徴記号としてての凹みであるカップ・マーク。線刻の多様化(リズム、足跡、数字らしき形、2月間にわたる月の消長)
・BC24000年ー22000年;  イルクーツク近くから出土したマンモスの牙(p18 第5図)の表面には大小のらせん状点線が、裏には3匹の蛇が彫られていた。

p20 口述地形図 cartographic narrative ; インドシナ山岳民の口述法と北欧中石器時代琥珀遺物上の分岐点線図の対比から原初の文字表記(エクリチュール)を文様に比定し、下位にある図形素をとりだしていく。インドシナ山岳民は白紙の上に多くの○点を配置して物語をつむぐが、竹も茂みも谷も○で示されているがその配置が彼の頭の中では識別可能な記号として捉えられている。一方中石器時代に点状図を分岐させ樹状図を生み出した人々は異なる口述法をもったと考えられるという。
p23 円点図形素とその記号群; 象徴表現へ
p25 線刻図形素と文字表記; AD300年ごろのオガム文字は刻線の簡単な組み合わせでアルファベットの20音標文字を表現した。 AOUEI HDTCQ BLFSN MGNgZR