音韻

    4月17日の朝日と読売の朝刊に宮崎県知事の別々の著書の広告が載っていた。この事実もスゴイ(決して肯定的意味ではない)が、明治期の日本が生み出した大発明の一つである<ルビ>の問題としてみると興味深い。朝日新聞には、KKベストセラーズの広告が<たてがき><ルビなし>で、読売新聞には、集英社の広告が<よこがき><英文字ルビ>で、掲載されている。
    私がここで注意深く<ルビ>という語を選んで、公用書類などでよく見かける<フリガナ>や<ふりがな>の語を避けたのには理由がある。後者には<正かな>という前提が濃厚につきまとっているからだ。ここでは単なる技術的な工夫の問題を考えたいので<ルビ>という技術由来の語を使う。
     かの宮崎県知事選の結果を目からは<東国原>と知り、耳からは<ひがしこくはる>と聞いたときの新鮮な驚きは今でも覚えている。そしてこういうことは史上初めてのことなのか、それともテレビ時代がもたらしたものなのかと考えてきた。今日の朝日の紙面は、やはりテレビ時代のもたらした現象であることを示唆していてる。仮に戦前に<東国原>氏が中央政界に登場しても、NHKのアナウンサーはズーズー弁など口にするべきでないという規範に従って、辞典にはない<原・はる>を避けて<ひがしくにはら>と発音しただろうし、新聞のルビも<正かな>に基づく限り<ひがしくにはら>とせざるを得ない。
     しかし全国の国民がテレビのおかげなのか、それともセイなのか、<東国原>氏の由緒正しい音韻が<ひがしこくはる>であることを知ってしまった。
     今日の紙面からはこういう事態に対して二つの態度がありえることを考えさせられた。現実的な態度としてはこういう方法しかないであろう。事実、九州地方に行けばJRの駅名には<原・はる>が頻出する。今さら<ひがしこくはら>というルビはつけにくい。とすれば<ルビ>なしとすることで<正かな>そのものを放棄するということである。反して集英社の広告ではルビを英文字にすることで、<正かな>ではありませんよ、と一歩退いて見せているわけである。
     とすれば<鉛筆一本>も、特にルビを振っていない限り<えんぴつ いちほん>でもいいという規範が速く流通するようになってほしいものだ。外国籍児童が自分や兄弟の年齢や誕生日を発語することに臆病なのを見るたびにそう思うのである。ついでに〈四月〉<七月>〈九月〉は<しがつ><しちがつ>〈くがつ〉と固定してもいいが、<4月><7月><9月>は<よんがつ><なながつ><きゅうがつ>でもいい位の規範に早くしてほしいものだ。