〈二字漢字語〉という呪縛

   理科教育のことを勉強しているときに、先日書いた、〈重さ・重たさ〉のような対語をつかえば、難なく日常語で意味が通る文章を書けるのに、どうしてそういう工夫を専門家はしないのかと不思議に思ったことがある。以下。

〈重力量weight・重さ量mass〉と〈重さ量weight・質料量mass〉

   いろいろ考えていくと哲学用語の〈質料〉と〈質料量〉が対語であった可能性が濃厚なのに、〈質量〉が〈質料量〉から〈料〉を省略して〈重量・質量〉が対概念であることを明確にしたという説明は理科教育関係者からは1度も聞かれなかった。



■二字の国名      その後、日本史を勉強してきて6,7世紀に、国名は二字と定められたことを知った。それで〈和泉・いずみ〉が〈泉州〉の美称であったことが了解された。さらに〈越前〉〈越中〉〈越後〉が律令以前には〈越州〉であったのが一度〈高志・こし〉という美称を獲得して後に、国の三分割と共に現在の我々が知る名称になったことも理解できた。

■韓国と北朝鮮       さらに最近岡田英弘氏が、〈朝鮮半島〉を〈韓半島〉とあえて命名して、その論を進めているのを読んで、〈北朝鮮〉という現在我々が馴染んでいる通称のことを思い出した。田中克彦氏の著作で見たのだが、これが定着するまでには紆余曲折があったらしい。当初大新聞は〈韓国〉〈北鮮〉という通称にかなり固執したらしい。このことを読んでいるときには〈二字漢字語〉について私の頭にはなんの経験もなかったので、よく意味がわからなかったこともあり、「ホント、日本のメディアってお馬鹿なのね」くらいしか印象が残っていないのだが、これは結構、根深い問題なんだということがやっと今わかってきた。

■正式名と略称と美称と      日本の新聞や専門文書にはいきなり略称や美称で記事を書き出すものがあるが、そろそろ、こういう習慣は改めた方がいいと思う。ルビを廃止したのは山本有三氏の美的紙面論に支えられてのことだったとしても、本音は負け戦で物資が欠乏していたからだし、そういう時勢にあっては三字より二字の方が好都合だったのだろうけど、日本はもはや貧乏ではないはずだ。だったら必要なら三字でも四字でも十文字以上でも正式名称をきちんと最初に使うようにしていくべきだ。当用漢字の字数を見直すのも結構だが、それならば同時に中学校までに習わない漢字やその読みについては必ず「ルビ」を義務付けるべきだと思う。

■エレベーター内の表示
        ついでに書いておくと勿論エレベーターは日本の発明ではなく、西欧化に伴って輸入した技術体系である。運用で安全上、一番大事なのは過重にならないことである。これは乗客も知っておかなければならない事項だ。だから英語では〈person・load〉で各エレベーターに数量が明示されている。これを日本語に訳すと〈定員・積載〉となる。
       ここに二字漢字語の呪縛が典型的に、というより化石として残っている。さらに数量には必ず日本語教育文法でいう数詞〈人・kg〉が表示されている。勿論〈load・積載〉は世界でポンド系とkg系が共存しているのだから、単位がなければ数字は機能しない。英語でも単位は表示される。
     だが、〈person・定員〉の数え方は文化によって変わるのだろうか。人の数え方は地球上の場所で変わったりしない。だから英語では当然personには単位はない。そして、日本語でも、私が知る限り文章中では〈定員 五〉のように運用されてきているはずだ。もし後ろを五人としたいならば〈定員〉ではなく〈person〉の直訳語である〈人〉を用いて〈人は5人まで〉とするのが、文法的には正しい。
    「二字漢字語」「数詞がなければ日本語として間違っている」という規範が呪縛になって今のエレベーター内の表記はまた一つ意味の通らない日本語を合理化する装置になっている。もし、二字漢字語の呪縛がなければエレベーター内の表示は以下になって、英語くらい簡単な表記になって本来の用を果たせるはずだ。そうすれば<積載>などという道路交通法でしか使われない二字漢字語を一つ義務教育対象漢字からはずす事ができる。

「人の数 10」   「荷の量 500kg」
「person 10」   「load 500kg」